「詩人の目に…」 又吉直樹さんが語る画家・髙島野十郎の魅力

2025/11/11 17:16 

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 芥川賞作家で芸人の又吉直樹さんが、福岡県立美術館で開催中の「没後50年 髙島野十郎(やじゅうろう)展」の広報大使を務めている。闇の中に浮かぶ満月や蝋燭(ろうそく)などの作品で知られる野十郎のファンで、「創作者としての魂の部分」にひかれるという又吉さんに、野十郎の作品や生き方の魅力、展覧会図録に書き下ろした短編小説「月下の死神」の創作秘話などを語ってもらった。

 ◇月の絵に宿るカタルシス

 髙島野十郎(1890~1975年)は現在の福岡県久留米市出身の洋画家。本展では、代表作や初公開作品など過去最大規模の約170点を展示し、「孤高の画家」と呼ばれる野十郎の全貌に迫っている。又吉さんは10月25日に会場を訪れ、福岡市内で講演後、取材に応じた。

 又吉さんが野十郎にひかれるきっかけとなったのが月の作品。闇の中に小さく月が描かれている特異な作品だ。元々日常で月や夕焼けを見るのが好きだった又吉さん。最初は画集や図録で野十郎の絵を見て「自分の目に見えている月と近くて、もっと立体的で奥行きがあって、とにかく魅了された。月と周りの空の色がすごく好きで、ずっと見ていられると思った」と振り返る。会場でもじっくりと対面。「野十郎の月の絵を見ると、気持ちが楽になるようでもあり、ある種のカタルシス(浄化)が絵の中にある気がする」と言う。

 雨の日の法隆寺・五重塔を描いた「雨 法隆寺塔」(1965年 個人蔵)も印象深い作品の一つに挙げる。「雨の線をめちゃくちゃ細かく描いていて、言語化できない魅力がある」。野十郎は風景を描く時、その場所に通い詰めて、そこで経験した全てを絵に込めようとした。「雨 法隆寺塔」も16年ほどかけて描いたといわれている。

 風景画も、静物画も、見る者の心を捉えて離さない野十郎の作品。あまりに繊細な筆致は、作品に近づくほどにすごみすら感じさせる。「写実で見たままを描いているようでいて、そこに感情や思想が反映されている。写真とも違う。精神性が内包されている写実になっている」と、野十郎の作品の魅力を語る。

 ◇詩人の目で、市井の人々が見る風景を

 野十郎は久留米市で裕福な酒造業を営む家に生まれ、東京帝国大学(現東京大学)農学部水産学科を首席で卒業。しかし周囲から期待される生き方に背を向け、画家の道に進み、独学で絵を学び、独身を貫いた。画家の青木繁と親交のあった兄の宇朗(うろう)は詩人で仏門に入っている。野十郎も兄の影響を受けて仏教に深く傾倒し、仏教書を読み込んだ。

 又吉さんは、野十郎のまなざしや生き方にも注目する。「野十郎の目と詩人の目は似ていると思う。野十郎自身が仏教的な背景を持ち、みんなが見る所ではない所を必ず見ている。多くの人が空を眺めている時に、排水溝を見ているみたいな。空もいいけど、排水溝もいいよね、と。世界にはもっと広がりがある。そういう平等意識をすごく感じる」と述べる。

 詩人的なまなざしを又吉さんが特に感じたのが、野十郎が40歳前後にヨーロッパのパリなどに滞在して制作した風景画。「観光客が見る風景ではなくて、市井の人々が見ているであろう風景を描いている」と話す。

 現在確認されている60点ほどの蝋燭の作品のうち、本展は16点を展示している。サイズはほぼ同一だが、炎の形や蝋燭の長さ、明るさも一つとして同じものはない。「一つ一つの作品に対して全力を注ぐ。自分が描きたいものを描く純度を保っている」。そうした生き方や姿勢にもひかれるという。

 ◇図録の小説に込めた思い

 図録に書き下ろした短編小説「月下の死神」は、野十郎のファンで、「死神」という演目が得意な落語家の物語。特別な明かりに見える野十郎の蝋燭の絵と、蝋燭が重要な役割を果たす落語の「死神」を結びつけて物語を構成した。「いかに野十郎が、創作に対して真摯(しんし)に向き合っていたかを描きたかった。僕の物語に出てくる落語家は、最初は野十郎に憧れて野十郎みたいな気持ちで落語に向かっていたけれど、人気が出てくると、調子にのってしまって……。その対比で見せたかった」

 実は図録への寄稿は、小説の依頼ではなく、「野十郎のどこが好きか」という文章で本来はよかったのだという。しかし「野十郎の作品展の図録に載る時に、ライトな熱と時間のかけ方で書くのは矛盾していると思って、態度として野十郎を模倣するのを大前提にした」と小説にした理由を明かした。

 ◇美術館を訪れる楽しみとは

 美術館で作品を鑑賞する魅力は何か。又吉さんは「野十郎が描いている絵は実際に見たら平面ではない。迫力も違う」と力を込める。「美術館で好きな作家の絵を見ることも大好きだけど、写実にしろ抽象にしろ、作家の目を借りて、世界を見られるような感覚がある。1、2時間集中して絵を見て、外に出た時の景色はいつもより美しく見える。野十郎の目を借りて世界を見ると、すごくおもしろい」

 さらに、美術館に向かう過程を寺や神社の参道に例える。「参道を歩いて行く時に、徐々に気持ちが整って、ようやくご本尊や本殿にたどりついてお参りができるみたいに、美術館に至るアプローチが、すでに絵を見ようとする準備になっていると思う」と説明する。

 没後50年、多くの人々に愛される野十郎が、今を生きる私たちに教えてくれることは何だろうか。「自然と拮抗(きっこう)し、それ以上の力を生み出しているのが野十郎の絵だと思う。ストイックに一つのことと向き合って、こんなにも人の心を打つものが作れる。みんなにうらやましがられる生活をしたわけではないけれど、豊かに感じる。そういう生き方をみんなで考えてもいいのではないかな」

 12月14日まで。福岡県立美術館(福岡市中央区天神)。【高芝菜穂子】

 ◇又吉直樹さん 

 1980年、大阪府寝屋川市生まれ。2003年にお笑いコンビ「ピース」を結成。15年に本格的な小説デビュー作「火花」で第153回芥川賞を受賞。主な著書に「劇場」「人間」、絵本作家のヨシタケシンスケさんとの共著「その本は」などがある。

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