同級生が作った、展覧会のような「お別れの会」 49歳で亡くなった美術教諭が残したもの

2026/08/26 11:30 

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 浜松中部学園(浜松市中央区)で美術を教え、7月19日に49歳で亡くなった後藤亜規子さんの「お別れの会」は、さながら一つの展覧会だった。
壁には教え子のために描いた「黒板アート」や自身の作品、旅先の写真が並び、棺には敬愛した画家クロード・モネの「睡蓮」をイメージして友人らが手作りした600枚余りのカードが添えられた。悪性リンパ腫と診断されてから約1年間、治療を受けながら教壇に立った後藤さん。最後の別れの場にも、教え子や友人が知る「後藤先生らしさ」があふれていた。

 物心ついた頃から絵を描くのが好きだった後藤さん。

 常葉菊川高(現・常葉大菊川高)美術デザイン科、日大芸術学部を経て浜松市の中学校に美術教諭として赴任した。
教え子によると、バッサリと物事を言うことから苦手意識があった子もいたというが、後藤さんの心の温かさにふれ、徐々に打ち解けていったという。 「生活記録に自分の悩みを書いた時に、『もし自分が尚音(ひさね)の同級生だったら、友達になりたいよ』など、付箋4枚くらいにわたる愛のこもったアドバイスをもらった。本当に優しさに溢れていて、そういうところが本当に大好きだった」

 中学時代の教え子、山里尚音さん(15)=高校1年=は振り返る。

 お別れ会に飾られた黒板アートも生徒への思いの表れ。誕生日の生徒を思い、誕生日の前日や、当日の朝早くから時間をかけ、生徒の好きなキャラクターを描いた。黒板アート用に、たくさんの色のチョークを持っていたという。

 2024年、右脇の下に梅干し大のしこりが見つかり、40度ほどの熱が出た。病院の診断はステージ3の「悪性リンパ腫」。それまでに、全身のさまざまな場所に湿疹が出て長引くなどの初期症状があり、病院に相談したこともあったが、通常の湿疹と診断されていた。

 約1年間、闘病しながら教師生活を送った。周りの友人や生徒には病気のことは詳しくは伝えていなかった。当時の教え子たちによると「学校では元気だった」というが、仕事のない土日はずっと家で休んでいた。入院したほうが良いと周りは勧めたが、治ることを信じて、本人は仕事を続けながら治療を進めた。

 生前、後藤さんは「お別れの会は同級生に考えてほしい」と話していた。

 後藤さんが亡くなったことを母親から伝え聞いた同級生のダンサー・大録貴那さんは同級生のグループLINEで連絡を取り、友人同士での葬儀のアイデア出しが始まった。

 同級生の中心となって展示方法を考えた木下琢朗さん=ギャラリーoryza(オリザ)経営=は「彼女の作品も置いてあげたいし、来る人たちの思い出も含めてしつらえたいと思った」と話す。

 後藤さんは、病気が発覚する1年前の2023年、自宅を兼ねたアトリエを建てたばかりだった。特別支援学級のある中学校に赴任した経験から、「将来は障害がある子への絵画教室をやってみたい」と夢を語っていた。

 同級生の一人、フリーライターの石塚ともかさん=森町=は「みんな本当に、お別れの会に長く滞在してくれた。作品展に来てくれたような感じがあった。これで終わりではなく、自宅併設のアトリエで後藤の作品の展覧会をするなど、今後も何かできたらと思う」と話した。
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