揺れる「日産の街」 2工場閉鎖検討、従業員以外にも広がる不安

2025/05/24 20:24 

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 経営再建中の日産自動車が、国内で主力の追浜(おっぱま)工場(神奈川県横須賀市)と子会社「日産車体」湘南工場(同県平塚市)について閉鎖を含めて検討していることが明らかになって以降、工場を抱える地元は大きな不安で揺れている。2工場では5000人以上が働き、日産と取引する地場企業も多い。日産側は国内外で「7工場の閉鎖」を表明しているが、国内で名前が挙がっているのは神奈川の2工場のみ。創業の地の住民らは固唾(かたず)をのんで行方を見守っている。

 追浜工場の閉鎖検討が大きく報じられ、1週間がたった24日。工場では昼休憩で出入りする従業員の姿が見られた。40年以上勤務してきた男性従業員(62)は「閉鎖の案は職場で知る前に報道に流れている。寂しい気持ちもある」とつぶやいた。「閉鎖になったらどこの工場に行けばいいのか」と不安を漏らす同僚もいるという。

 「閉鎖検討」が報道された直後の19日、記者会見した横須賀市の上地克明市長は険しい口調で語った。「追浜工場は60年の歴史があり、横須賀市内で最も大きい工場だ。当然、市内に住む従業員や家族も多数いる。いろいろな情報が飛び交うが、情報収集に努めたい」

 追浜工場は1961年に創立。ブルーバードやキューブなど人気車種をはじめ、同社初となる電気自動車リーフを製造してきた歴史がある。約170万平方メートルの広大な敷地にはテストコースや車を輸送する専用船が停泊できるふ頭も設けられており、約3900人が勤務する。日産は横浜市に本社を構え、追浜工場はお膝元の主力工場として存在感を示し続けてきた。

 「日産の街」とも言える追浜地区では、従業員以外の住民にも不安が広がる。

 「閉鎖検討を知った時は『えっ』と声を出すくらいショックを受けた」。追浜工場に近い弁当店「日本亭追浜店」の岩渕則彦店長(59)は驚きを隠さない。月1、2回は工場からまとめ買いの注文が入る。近くには日産社員寮もあり、「切に閉鎖してほしくない」と願う。

 工場の近くで暮らす80代女性は「地元だから愛着がある」と60年前から家族で日産車を乗り継いだという。「ナンバーを2355(日産ゴーゴー)にしたこともあった」と懐かしむ。「工場が閉鎖されれば街に活気がなくなり、若い人も減ってしまうのでは。とにかく残ってほしい」と祈るように話した。

 揺れているのは日産車体の湘南工場がある平塚市も同じだ。商用バンなどを製造し、約1600人が勤務する。

 市内の塗料販売会社「モトヨシ」の元吉英雄会長は、日産車体に50年以上溶剤などを納入している。「日産車体は技術力も高く、見習えと言われてきたほどだった。寂しい限りだ」と肩を落とす。閉鎖になれば「もちろん影響は避けられない」と話した。

 平塚商工会議所の常盤卓嗣会頭は、日産車体について「戦後復興を担い、今も地元の七夕まつりや花火大会を支える平塚を代表する会社だ。事実であれば残念」と話す。下請けや孫請けの会社への影響を抑えるため、金融機関などと救済策を協議することも視野に入れているという。

 「まだ決まっていないなら、2工場の閉鎖を取りやめてもらいたい」。23日に日産自動車のイバン・エスピノーサ社長と県庁で面会した神奈川県の黒岩祐治知事は、強く求めた。エスピノーサ社長は明確な回答を避け、具体的な計画などが決まった段階で「地元自治体と情報共有したい」と述べるにとどまった。

 エスピノーサ社長は、大まかな「構造改革のスケジュール」を「今月末までに話せるようになる」とも伝えたという。数々の名車を送り出してきた創業地の生産拠点はどうなるのか。今後の成り行きが注目される。【福沢光一、澤圭一郎、矢野大輝、蓬田正志】

毎日新聞

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