車が消える国道58号 沖縄はなぜ高校野球が特別? 夏の甲子園

2025/08/23 07:30 

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 明るい曲調の沖縄民謡と指笛に自然と体も揺れる。

 阪神甲子園球場で響く心地よいリズムは手拍子へとつながり、沖縄尚学は応援を背に全国高校野球選手権大会で初の決勝に勝ち上がった。沖縄では試合中は主要道路から車が消える、と話題になるほどの熱量。沖縄にとってなぜ高校野球は特別なのだろうか。

 ◇高校野球は生活の一部

 沖縄尚学のアルプススタンドは、大会を通じて大勢の観衆で埋まった。誰とでもすぐにうち解けて高校野球の話に花を咲かせ、チャンスではお祭り騒ぎとなって盛り上がる。

 準決勝で殊勲打を放った比嘉大登選手(3年)は「ここは沖縄の球場かと思うくらい応援がすごくて、楽しかった」と笑顔で語る。

 アルプス席で声をからした一人、沖縄尚学のOB会幹事長、波平邦孝さん(37)が興味深いことを教えてくれた。

 「試合の時間帯は普段は混み合う国道58号もガラガラ。高校野球は生活の一部になっているんです」

 国道58号は沖縄本島の主要幹線道路で、朝夕には渋滞が頻発する。それが準決勝の最中には車がほとんど走っていない様子が次々と交流サイト(SNS)に投稿され、「国道58号」は日本中で話題となった。

 ◇戦後、娯楽がない中で

 沖縄に高校野球が根付いた理由には、歴史的な背景も密接に関わっている。

 沖縄に野球が伝わったのは1894年、沖縄中(現首里高)が修学旅行先の京都で野球と出合い、持ち帰ったとされる。だが、第二次世界大戦の激化により、広まりつつあった野球文化が一度は途絶えてしまう。

 再び球史が動き出したのは、終戦翌年の1946年。全島高校野球大会が初開催され、58年夏には首里が甲子園初出場。この際に球児が思い出に持ち帰ろうとした「甲子園の土」が、防疫の関係で海に捨てられたエピソードは有名だ。

 米国統治下で戦争の傷痕が残り、娯楽も少なかった時代、皆が一体となって盛り上がれる高校野球の存在は島民の希望になった。

 72年の本土復帰を経て、沖縄の高校野球の強化は加速する。90、91年夏に沖縄水産が2年連続準優勝し、99年のセンバツで沖縄尚学が春夏通じて沖縄勢初優勝。2008年春に2度目の頂点に立ち、10年には興南が春夏連覇を達成した。

 ◇ウチナンチュの誇り

 この時の興南の捕手で現在は社会人野球・沖縄電力でプレーする山川大輔さん(33)は「沖縄という小さい島からでも全国の強豪に立ち向かっていけるんだぞ、というところを見てもらいたかった」と回想する。

 山川さんにとっても高校野球は身近で当たり前の存在。知人が出ていることも多く、試合の日には家族や友達と一緒に球場に行ったり、テレビにくぎ付けになったり。ひいきのチームが勝てば皆で喜び、祝った。

 「選手の必死なプレーや楽しそうな姿に見ている人はパワーをもらい、笑顔になる。野球を通じて、ウチナンチュ(沖縄生まれの人)の誇りや自尊心を伝えたい。自分も先輩たちのそういう部分を見て育ってきた」と沖縄で白球が愛される理由を推察する。

 高校野球は単なるスポーツの枠を超え、沖縄のアイデンティティーの一つといえる。そして戦後80年の今年、メンバーの大半を地元の子で占める沖縄尚学が再び旋風を起こした。99年春の優勝時のエースだった比嘉公也監督(44)は「激戦地だった沖縄(のチーム)が、80年の節目に決勝に進出するのはすごく価値あることだと思う」と語る。

 白球と沖縄が持つ底知れない力を、聖地から全国に発信した夏だった。【角田直哉、村上正】

毎日新聞

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