「太陽のような人」 長嶋茂雄さん死去、キャンプ地宮崎などで悲しみ

2025/06/03 12:19 

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 長嶋茂雄さんが3日に89歳で亡くなり、巨人の現役当時や監督時代から春季キャンプで訪れていた宮崎市など九州のゆかりの地でも悲しみが広がった。

 「太陽のような人で、お世話していて本当に楽しかった」。長嶋さんが1期目の監督だった1976年から巨人の宿舎となった「青島グランドホテル」(宮崎市)の大おかみ、冨森久子さん(92)は以前、毎日新聞の取材にそう答えていた。

 監督就任1年目だった前年の75年、巨人はリーグ最下位に沈んでいた。それでも、ホテルを訪れた長嶋さんは「今年は絶対優勝しますよ」と声を弾ませていたという。冨森さんは「そんなことあるかしらん」と内心思っていたが、長嶋さんは有言実行で76、77年とリーグ連覇を果たし、冨森さんを驚かせた。

 サプライズはグラウンド外でも多かった。

 長嶋さんの誕生日である2月20日とキャンプ期間が重なる時には、誕生会が宮崎で開かれていた。長嶋さんは「ありがとう」と感謝の言葉を述べるだけでなく「結婚記念日おめでとう」と冨森さんを祝ってくれたという。冨森さんは「以前にお伝えした(結婚記念日の)話をずっと覚えていらした。本当に優しい」と思いをはせていた。

 ホテル周辺に集まったファンにも、長嶋さんのサービス精神は旺盛。ベランダから自分のユニホームを広げて声援に応えていたのを、冨森さんは覚えていた。

 早朝にホテルの食堂に突然来て「ご苦労さん、早くから大変ですね」とねぎらい、準備ができていなかった従業員を慌てさせたという「らしい」逸話も残した長嶋さん。冨森さんは「孫もかわいがってもらって良い思い出。ありがたいばかりです」と感謝した。

 巨人の監督1期目を退いた後、長嶋さんは日本トライアスロン連盟(当時)の会長に就任。熊本県天草市で開かれている天草宝島国際トライアスロン大会にもスターターとして訪れ、地元の人々と交流を重ねた。この縁もあり、天草市の広瀬公園野球場には「長嶋茂雄球場」の愛称が付けられている。

 当時選手として出場した大会事務局長、野口昭信さん(75)は「背が高く、オーラがあり、格好よかった」と振り返り、「先日はくしくも長嶋さんに来ていただいてから40周年の記念大会を開いたばかりだった。トライアスロンの振興に尽力していただいた功績をこれからも語り継ぎたい」と語った。【中里顕、平川昌範】

毎日新聞

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