「僕は永遠にオッケーもらえない」 永瀬正敏さんの愛する「オヤジ」

2025/09/16 17:00 

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 大ヒット中の映画「国宝」では主人公の実父であるヤクザの親分、10月17日公開の「おーい、応為」では準主役の天才絵師、葛飾北斎を演じる俳優の永瀬正敏さん(59)。芸歴43年。いよいよ円熟味を増したイブシ銀は、なのに首を振った。「僕は永遠にオッケーがもらえない役者なんです」。そう語る永瀬さんが思い浮かべるのは、オヤジの顔だ。

 9月9日、東京都内のスタジオ。「今日は命日なんですよ、オヤジの」。サングラスの奥の不良っぽい目が細くなった。

 2001年のこの日、相米慎二監督(享年53)が、がんで世を去った。「七人の侍」の黒沢明監督が世界の巨匠なら、「セーラー服と機関銃」の相米監督は無頼で鳴らした邦画の異端。永瀬さんのデビュー作「ションベン・ライダー」のメガホンを取った人でもある。

 「僕にとって父親のように近くて、オッサンのようにうるさかった存在。だから、オヤジ」

 デビュー当時、永瀬さんは宮崎県都城市から上京した高校1年生。歌手、尾崎豊さんの「15の夜」が流行した時代だった。「授業をサボってる不良が、大人の鼻を明かしたいとオーディションに応募したら受かっちゃった。せっかくなんで思い出にしようかなって。俳優になる気なんて、さらさらなかった」

 記念出演、素人丸出しの永瀬少年に、相米監督は演技をつけなかった。「クソオヤジ、ぶっ壊してやろうか、って思いました」。初心者を捕まえておきながら、何も教えない。「何か聞こうものなら、オレがやるんじゃねえ、自分で考えろ、ですからね」。そのくせ演技をすれば罵倒された。

 カメラさえ回さず、リハーサルだけで一日が終わる日々。容赦ない仕打ちに、さすがに途方に暮れた。ちなみに、この映画の主役級の少年少女の一人に、今はタレントとして活躍する坂上忍さんもいた。

 「子役スターだった忍君も僕たちと一緒に汚い旅館に合宿させられていた。でもそこに毎晩、オヤジが来るんです。現場でめちゃくちゃ厳しいのに、合宿先では普通に話す。憎まれ口たたきながらも、何か愛情がある。学校の教師たちと違って僕らを差別してないのが、ガキンチョの僕にも、忍君にもわかったと思う。揺れ動く少年時代に『出会っちゃった』感じですよね」

 なぜ相米監督は演技指導をしなかったのか。年を経た今ならわかる、という。「僕はド素人なので、ああやれ、こうやれ、と言われたって、上っ面だけで本当の芝居なんてできっこない。それでスタッフが何十人も待ちぼうけなのに、リハーサルに付き合ってくれたんです。その間に『いい演技しよう』なんて僕の勘違いとか、羞恥心とかをそぎ落としてくれた。ずっと待っててくれたんです」

 人生には宝物のような出会いがある。その衝突が、一人の運命を変えてしまうような。だが、それはまれなことでもある。

 永瀬さんが相米監督の映画に出たのは、デビュー作の1本だけ。監督が亡くなり24年。芸歴も没後の方が長くなり、永瀬さんの年齢も監督の没年齢を超えて還暦間近だ。それでも、いまだに永瀬さんには異常な「相米愛」があるという。

 「あの時、カメラが回っても、オヤジは『そんなもんだろう』とか『次行くか』とか『まあまあだな』としか僕の芝居について言わなかったんです」。結局ね、と続けた。

 「僕はオヤジからオッケーをもらえないまま、あの人は逝っちゃった。ずーっと『まあまあ』止まりの役者なんです」。サングラスの奥の目が笑う。「だから、もっと演技がうまくなりたいんですよね」。まもなく公開の「おーい、応為」では80歳超えの葛飾北斎を演じる。【川名壮志】

毎日新聞

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