万博→広島訪問ラッシュ 世界各国の要人たちが残した言葉

2025/06/15 10:00 

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 4月以降、世界各国の国王や大統領ら要人による「広島訪問ラッシュ」が続いている。開催中の大阪・関西万博に合わせて来日し、広島まで足を延ばしているようだ。平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑や原爆資料館という「定番コース」に追加して訪れた場所や残した言葉には、核兵器を巡る世界情勢への強い危機感が表れている。

 4月13日の万博開幕後、最初に広島に立ち寄ったのは4月25日、デンマークの国王フレデリック10世。以降の約1カ月間で、パラグアイ▽ハンガリー▽アイスランドの各国大統領が相次いで訪れた。いずれも万博期間中、各国・地域の文化を日替わりで紹介する「ナショナルデー」のイベントに合わせて来日している。

 「ずっと広島を訪れたいと思っていた」というアイスランドのトーマスドッティル大統領は、特に印象的だった。5月28日、英語で被爆証言を続ける小倉桂子さん(87)の話を聞きながら、資料館を見学した。

 原爆投下で街が壊滅する様子をコンピューターグラフィックス(CG)で表現したパノラマの前に立った時のことだ。小倉さんが被爆した場所を指さし、当時の記憶を語るのを聞いていた大統領は悲痛な表情を浮かべ、小倉さんの肩をそっと抱き寄せた。

 見学を終え、感想を問う報道陣の取材に対する大統領の言葉は力強かった。「核兵器がどれほどの破壊を引き起こすのかが忘れられている。世界中の人々が広島に来て、知るべきだ。資料館で原爆による破壊を見て、誰が核兵器を保有すべきだと思うだろうか。私には全く理解できない」

 大統領の見学時間は約1時間に及んだ。2016年、現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏の資料館見学が約10分で、被爆者を中心に失望の声が上がったのとは対照的だった。

    ◇

 5月20日、パラグアイのペニャ大統領は定番のルートを巡る前に、平和記念公園内にある「原爆の子の像」へ向かった。2歳の時に広島で被爆し、10年後に突然、白血病を発症した佐々木禎子さんが像のモデルになっている。回復を願って鶴を折り続けたが、12歳で亡くなった。現在も国内外から年間約1000万羽の折り鶴がささげられている。

 ペニャ大統領は、中央に紋章がある赤白青の横三色旗のパラグアイ国旗をデザインした折り鶴を奉納し、手を合わせた。パラグアイの子どもたちが折ったものだという。原爆資料館見学後、芳名録には「紛争と戦争に苦しんだ国のみが人々の苦しみを理解できる。平和な世界のためにともに闘いましょう」と書き記していた。

 デンマークの国王フレデリック10世も平和記念公園近くの「おりづるタワー」で、地元の小学生らと鶴を折って交流した。

 ハンガリーのシュヨク大統領は5月25日、「本人の強い意向」で大阪から広島入りした。資料館を見学し、「平和が失われた場合に人類が直面する現実を実感し、心を揺さぶられました」と記帳した。

 その後いったん大阪に戻り、2日後には長崎市の原爆資料館も見学して平和祈念像に献花し、その日の夜には専用機で帰国したという。「かなりハードなスケジュール」(ハンガリー大使館)だったとしている。

 10月の万博閉幕まで、今後も要人の広島訪問は続くとみられる。原爆ドーム前で約20年にわたり、ボランティアガイドとして外国人を含む30万人以上を案内してきた胎内被爆者の三登浩成さん(79)=広島県府中町=は「広島を訪れてくれるのは喜ばしいことだが、各国の指導者たちには原爆がもたらす惨状をしっかり確認し、核廃絶に取り組むことこそが重要だ」と注文した。【安徳祐】

毎日新聞

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