「自慢の兄が国賊に」2・26事件から90年 処刑の将校の弟が講演

2026/03/01 20:07 

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 「日本近現代史上最大のクーデター未遂」とされる2・26事件から90年。刑死した青年将校の弟、安田善三郎さん(100)が1日、事件現場の一つとなった神奈川県湯河原町で兄の思い出や遺族の苦労などを語った。

 同町の温泉施設「こごめの湯」で講演した。兄の安田優(ゆたか)陸軍少尉は斎藤実内大臣、陸軍の渡辺錠太郎大将(教育総監)を襲撃、殺害した部隊にいた。事件鎮圧後は非公開の軍事裁判で死刑の判決を受け、他の将校とともに銃殺された。

 実家は熊本・天草。13歳上の兄は「医者になりたかったのですが、経済的な事情で陸軍士官学校に進みました。村からは初めてでした」。戦前のエリートコースで、家族の誇りだった。優しく、まれに帰郷すると遊んでくれた。「親孝行でした。なぜ事件に参加したか分かりません」。事件の時、善三郎さんは10歳。「私たちのつらさは言葉では言い尽くせません」。エリートが「国賊」となり、家族は「村八分」にされ、親戚からさえ「縁を切ってほしい」と言われたという。

 渡辺大将が殺害された時、すぐそばに当時9歳で、後にノートルダム清心学園理事長などを務める娘の渡辺和子さんがいた。善三郎さんは事件後50年の1986年7月12日、青年将校らの墓がある賢崇寺(東京都港区)の法要で、和子さんに初めて会った。銃殺された優少尉らの命日。「自分の父親を殺した者の法要にお参りする。どうしたら、そういうことができるのだろう。本当に申し訳ない。ありがたい」と感じた。和子さんに導かれてカトリックに入信。和子さんが2016年に亡くなるまで親交を続けた。

 事件は36年2月26日、「昭和維新」を目指した陸軍青年将校らが兵士約1500人を率いて決起し、閣僚らを殺傷。永田町など政治の中枢を占拠したが29日に鎮圧された。将校ら19人が刑死した。

 湯河原には内大臣などを歴任し昭和天皇の信頼が厚かった牧野伸顕が滞在しており、青年将校らが襲撃。牧野は難を逃れたが警備の皆川義孝巡査が殉職した。未曽有の不祥事を起こした陸軍だが、事件後は発言権を強め戦争に進んでいった。【栗原俊雄】

毎日新聞

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