村山富市元首相が死去、101歳 自社さ連立政権、戦後50年談話

2025/10/17 13:26 

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 1994年の「自社さ政権」で社会党出身として47年ぶりに首相に就任し、95年に「戦後50年談話」を出した村山富市(むらやま・とみいち)さんが17日、老衰のため死去した。101歳。葬儀は近親者のみで営み、お別れの会を後日開く。

 24(大正13)年、大分市に生まれた。46年に明大専門部を卒業し社会党に入党。大分市議、大分県議などを経て、72年の衆院選で衆院旧大分1区から立候補し初当選した。衆院社会労働委員を務めるなど、社会保障問題を得意とした。

 92年の国連平和維持活動(PKO)法案の採決では、国対委員長として国会史に残る「牛歩戦術」を指揮。一方で自民党の梶山静六幹事長(当時、故人)との間に太いパイプを持ち、「山・山」コンビとも呼ばれた。

 93年9月、衆院選惨敗を受け辞任した山花貞夫委員長(故人)のあとを受け、第13代社会党委員長に就任。細川政権で連立与党に参画したが、94年の羽田政権樹立時、当時の小沢一郎・新生党代表幹事主導で「社会党抜き」の統一会派構想を画策したことに反発し連立を離脱。羽田政権が短命に終わる契機となった。

 同年6月の首相指名選挙で自民、社会、さきがけの3党に推され首相候補となり、小沢氏ら旧連立政権側が推す海部俊樹元首相を破って第81代首相に就任。社会党出身の首相の誕生は、47年の片山哲氏(故人)以来47年ぶりだった。

 「人にやさしい政治」をうたい、元従軍慰安婦基金の設立、被爆者援護法制定、水俣病の政治解決などに尽力して「村山カラー」を発揮した。「戦後50年談話」では、先の大戦を巡り「国策を誤り」と断定し、「侵略」と首相が公式な声明で初めて明言した。一方、95年の阪神大震災、地下鉄サリン事件などでは危機管理対応のまずさを指摘された。

 また政権樹立以降、社会党の基本政策を次々に転換。94年9月3日の党大会で「自衛隊合憲」「日米安保条約堅持」を打ち出した。消費税率引き上げを盛り込んだ税制改革関連法の制定、オウム事件に関連した破壊活動防止法の適用決断などを相次いで下し、党内外に波紋を広げた。

 就任555日を迎えた96年1月、突然辞意を表明した。その後、2000年の総選挙に出馬せず、政界を引退した。

 22年1月には、欧州連合(EU)欧州委員会が原発を地球温暖化対策に資する「グリーン」な投資先として認定する方針を示したことに対し、他の首相経験者4人(小泉純一郎、細川護熙、菅直人、鳩山由紀夫の各氏)と共に原発推進は未来を脅かす「亡国の政策」だと批判し、方針撤回を求める連名の書簡をフォンデアライエン欧州委員長に送った。

毎日新聞

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