広島平和記念公園 12歳が流ちょうな英語でボランティアガイド

2025/07/12 14:08 

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 「戦争が終わったとしても、人に残る苦しみは一生続くことを伝えたい」。広島への原爆投下から80年となる8月6日の平和記念式典で、広島市立祇園小6年、佐々木駿さん(12)はこども代表の一人として「平和への誓い」を読み上げる。曽祖母が被爆者の佐々木さんにはライフワークがあり、平和記念公園(同市中区)を訪れた外国人観光客らに向け、流ちょうな英語でボランティアガイドを務めている。

 7月上旬、厳しい日差しが降り注ぐ平和記念公園で、佐々木さんは外国人の家族連れに「ハロー」と話しかけ、ガイドを始めた。資料を片手に原爆ドームを見つめながら「二度と原爆の惨事を繰り返さないという思いを込めて、広島はこの建物を残すことに決めました」と語りかけた。初めはきょとんとしていた家族連れも次第に興味深く耳を傾けていた。お礼として外国人男性が佐々木さんに1000円札を渡そうとすると「タイム・イズ・マネー」とかわし、受け取りを断った。人が人を呼び、いつしか大きな輪ができていた。ガイドの最後には手作りの折り鶴をプレゼントし、「今日の話を友達にも伝えて」と呼びかけた。

 佐々木さんは生後7カ月から幼児向け英語教材を「遊び感覚」で聞き、4歳のころには意思を英語で伝えられるようにまで上達した。もともとは母美緒さん(40)が雑誌の無料サンプルでもらった教材だった。平和記念公園に興味を持ったのは小学1年生の時。原爆ドームを見て「なんであんなにボロボロなのに残しておくのだろう。壊して何か建てたらいいのに」と疑問を持った。美緒さんに尋ねたところ「じゃあ一緒に調べてみよう」と、インターネットや原爆資料館で被爆や復興の歴史を学んできた。

 佐々木さんは人見知りをせず、外出先で外国人を見かけると積極的に話しかけた。原爆ドームの前にいた外国人観光客にも広島の歴史を伝えたところ、質問に答えられず悔しさが募った。さらに勉強を重ねると知識も増え、美緒さんは「平和記念公園でガイドをしてみたら」と提案。2年生だった2021年8月6日、ガイドデビュー。現在は月2回、原爆ドームや原爆慰霊碑など公園内の7カ所で外国人観光客に案内をしている。興味を持ってもらうためにクイズ形式で公園を説明したり、おすすめのお好み焼き店を紹介したりもする。

 ガイドの途中には、曽祖母である百合子さんの写真を見せながら被爆体験を伝える。百合子さんは当時12歳。爆心地から1・5キロの自宅で被爆した。家屋の下敷きになったが、父親に助けられ2人で10キロ以上離れた現在の佐伯区五日市町石内まで逃げた。38歳で乳がん、60歳で大腸がんに。69歳で亡くなり、原爆死没者名簿にも名前があるという。ガイドを始めたことがきっかけで、祖父から百合子さんが被爆者だったことを聞いた佐々木さんは「まさか自分の家族に被爆者がいるとは思っていなかった。身近に悲劇を体験した人がいたと知ってショックだった」と話す。同時に「知ったからには伝えなければ」との思いが募った。佐々木さんの両親もこの時初めて、百合子さんの事実を知った。

 今年3月には印象に残る観光客に出会った。40歳ぐらいの米国人男性で、佐々木さんのガイドを受けた後「核兵器があるから戦争が防げると思っていたけど、君の話を聞いて考えが変わったよ。絶対に核兵器は無くすべきだね」と話した。隣にいたオランダ人男性は「核兵器のおかげで戦争は終わったって教育されてきたけど、間違いだった気がする」と応じた。佐々木さんは「ガイドをやっていると、誰かの心が動くことがあると知りました」と語り、やりがいを感じた。一方で、世界中で戦火がやまない現状について「とても怖い。戦争が起きているのは他国の文化、考え方の違いを受け入れられないから。日常でも相手の悪いところだけじゃなく、いいところを探すのが大切じゃないかな」と考えている。

 目前に迫った広島原爆の日。「平和への誓い」のこども代表は、意見作文を書いた広島市内の小学6年生、1万465人の中から佐々木さんら2人が選ばれた。「悲劇の本当の姿を知らない人がたくさんいる。何が正しいか、何が違うのかではなく事実を知ってほしい」。誓いを通じて、世界中に伝えたい思いがある。【大西岳彦、写真も】

毎日新聞

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