親子孫3代で10回目の甲子園 帝京長岡主将が進む「自分の道」

2026/03/18 07:30 

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 「親子孫3代で10回目の甲子園」に挑む選手がいる。19日開幕の第98回選抜高校野球大会に初出場する帝京長岡(新潟)の中堅手、鈴木祥大(しょうた)主将(3年)だ。祖父は新潟県屈指の強豪校を育て上げた名将。父は全国的には無名の県立高を率い、甲子園で好勝負を演じた。

 「入学後に夏・春・夏と出場を逃し、甲子園は遠かった。祖父と父のすごさを知った」。1年秋から公式戦で起用されている鈴木主将はこう語り、「選手として出場するのは自分が初めて。祖父と父に恥じぬよう、しっかり戦いたい」と闘志を燃やしている。

 新潟県北部、村上市出身の祖父春祥(はるよし)さん(83)は、県境を越えて通った山形県の県立高で投手を経験。順天堂大の硬式野球部に在籍していた頃、新潟県の私立校、中越の校長から「野球部を強くしてほしい」と請われ、1965年に新卒で体育教師となり、監督に就任した。

 「必ず甲子園に行きます」と宣言したものの、78年夏の初出場まで13年かかった。待望の甲子園は1回戦で広島工に0-2で敗れた。「緊張しましたよ。気が付いたら七回。あっという間に終わりました」

 88年までに夏5回の出場を果たすも、すべて初戦敗退。「なぜ甲子園では勝てないのか」と悩む中、耳を傾けたのが教え子たちの言葉だった。「先生は厳し過ぎた」「甲子園で気持ちの余裕がなかった」――。サイン重視の管理野球から「のびのび野球」への大転換を決めた。

 「自主性に任せると、選手たちが一回りも二回りも力を付けた」

 監督就任30年目の94年夏。中越は坂出商(香川)と浦和学院(埼玉)に競り勝ち、3回戦も長崎北陽台に1点差に迫る快進撃を見せた。2002年に勇退するまで夏ばかり7回、甲子園で指揮を執った。

 鈴木主将の父春樹さん(55)は、中越が甲子園に初出場した78年当時、小学2年だった。

 「負けたら(春祥さんが)監督を『クビ』になると、母も私も知っていた」。新潟大会準決勝の日には居ても立ってもいられず、母と2人で約60キロ離れた母の実家まで炎天下を自転車で向かい、「着くと、中越が勝っていたのでうれしかった」のを覚えている。

 春祥さんの背中を追うように教員の道へと進み、新潟県の県立高2校の監督として甲子園を経験した。

 初出場の03年春は21世紀枠の柏崎を率い、1回戦で惜敗した。08年夏には新潟県央工を初の甲子園に導き、春夏通算3回の全国制覇を誇る報徳学園(東兵庫)に挑んだ。2点のリードを奪ったが六回に追いつかれ、九回のサヨナラ2ランで敗れた。

 「継投のタイミングなど悔いは残ったが、2回ともすばらしい経験をさせてもらった」と振り返る春樹さん。息子の出場を前に「甲子園は目標であり、目的になってはならない。その後の人生で『甲子園球児』という重さにのまれないでほしい」と願う。

 孫には中越で野球をしてほしいと思っていたという春祥さんは、鈴木主将をたたえる。「『自分で道をつくりたい』と甲子園出場歴のない学校を選んだ。先見の明があった。ちゃんと甲子園に出たんだから」

 帝京長岡は大会第5日に東北(宮城)との初戦を迎える。鈴木主将は祖父と父の思いを受け継ぎ、「初出場初優勝を目指す」と意気込んだ。【早川健人】

毎日新聞

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