「何もしない選択肢ない」 ガザ侵攻、日本で抗議続ける女性の訴え

2025/10/05 20:39 

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 子どもたちの命が奪われていく映像を、ただ眺めているだけでいいのか――。パレスチナ自治区ガザ地区で続くジェノサイド(大量虐殺)に日本から抗議の声を上げ続ける女性がいる。2023年10月、イスラエルがガザ地区に大規模侵攻するきっかけとなったイスラム組織ハマスの越境攻撃から7日で2年。彼女の訴えは、私たちに向き合うべき問いを突きつけている。

 「誰かが殺されてもいい世界は私やあなたが殺されてもいい世界。そうしてはいけない」。戦闘開始から2年を前に5日夕、神戸市の団体職員、疋田香澄さん(39)はJR元町駅前(神戸市中央区)で犠牲者の追悼とイスラエルに抗議するイベントを開いた。ろうそくに火をともし、命を奪われた子どもたちはもう大きくならないことを示そうと、150足の子どもの靴を並べた。日本の人々にも見て見ぬふりをしないでほしいと願う。「パレスチナに希望を作りましょう。そのためにジェノサイドへの抗議を続けていきたい」と訴えた。

 ガザ地区では空爆と地上侵攻、封鎖によって6万7000人以上が死亡し、市民は深刻な飢えに直面している。国連や各国が繰り返し非難し、日本政府も国際人道法を含む国際法の順守を強く求めているが、イスラエルは強硬姿勢を崩していない。

 疋田さんは「この惨状は突然始まったわけではない」と言う。イスラエルは1948年の建国に伴い、70万人以上のパレスチナ人を追放し、難民を生み出した。67年にはガザ地区とヨルダン川西岸地区を軍事占領し、ヨルダン川西岸では国際法違反の入植地建設を年々拡大してきた。ガザ地区を長年にわたって封鎖し、攻撃を繰り返してきた。

 その延長線上に今がある。「とにかくジェノサイドをやめてほしい」。最初の1年は毎週、この1年は隔週で抗議活動を続けるが、犠牲者が増え続ける現状に歯がゆさを感じている。

 疋田さんがパレスチナ問題に関心を持ったきっかけの一つが、ある約束だ。14年に旅行先のドイツでパレスチナ出身の女性に出会った。

 彼女は一部保存されたベルリンの壁を前につぶやいた。「ガザの壁はもっとずっと高い」。別れ際、「日本に帰ってできることはあるかな」と尋ねると翌日、「パレスチナの状況を日本で知らせてほしい」とメッセージが届いた。

 ガザ侵攻のニュースを聞き、あの時の約束が思い出された。23年10月22日、1歳だった長女をベビーカーに乗せて、初めて駅前に立った。「STOP パレスチナへの暴力」というプラカードを掲げ、チラシを配った。最初は1人だったが、交流サイト(SNS)での呼びかけに応じて徐々にプラカードを持つ人が集まった。

 11年の東日本大震災後、被災した子どもたちの保養キャンプを主催するなど、子どもの支援活動に取り組んできた。背景には幼いころ、自身が大人に傷つけられそうになった経験がある。娘が生まれたこともパレスチナの子どもたちを思う気持ちを加速させた。

 24年2月には日本政府が国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への資金拠出を停止したのに抗議し、外務省前で拠出再開を訴えた。さらに知人と協力し、全国会議員を対象に、日本政府が取るべき方策などについてアンケートした。政府は同4月、拠出を再開した。

 疋田さんはガザで大勢の子どもが犠牲になっている事実を、時に声を震わせながら訴える。不安に襲われ、活動中に思わず我が子の頭をなでたこともある。

 ハマスは今月3日、米国の和平案受け入れを表明した。イスラエルも案を支持しており、停戦が実現する可能性はある。一方、イスラエルはパレスチナ国家の樹立を認めず、ハマスの武装解除も求めており、ハマス側との溝は深い。疋田さんは「ジェノサイドをしてきた国が停戦条件を突きつけるのは違和感がある」と語る。

 抑圧と抵抗の歴史、そしてジェノサイドを止められなかった世界。疋田さんは自身にも怒りを感じている。「何もしないという選択肢はない。自分たちが無視してきた高い壁を壊していきたい」【矢追健介】

毎日新聞

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