Z世代俳優・黒崎煌代、デビュー3年でカンヌ到達の裏側 地方から上京即コロナ禍でリモート授業…

2025/10/11 08:30 

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映画『見はらし世代』主演の黒崎煌代 (C)ORICON NewS inc.

 俳優・黒崎煌代(23)の初主演映画『見はらし世代』が、10日から劇場公開されている。ことしの「カンヌ国際映画祭」で“新世代の日本映画”として注目を集めた作品。団塚唯我監督は、当時27歳、日本人史上最年少で同映画祭・監督週間に選出を果たし、黒崎は芸能界入りからわずか3年で、主演としてカンヌに招かれた。映画の舞台は東京・渋谷だが、黒崎は兵庫県三田市出身。兵庫の郊外の街から、渋谷、カンヌをつないだものは。黒崎に、地元・関西で話を聞いた。

【写真】『見はらし世代』劇中の渋谷にいる黒崎煌代→大阪でインタビューの黒崎煌代

■『見はらし世代』
再開発が進む東京・渋谷で胡蝶蘭の配送運転手として働く青年・蓮(黒崎)。ある日、蓮は配達中、母(井川遥)の喪失をきっかけに疎遠になっていたランドスケープデザイナーの父(遠藤憲一)と再会する。姉・恵美(木竜麻生)は、結婚の準備を進めている。変わりゆく街並みを見つめながら、家族にとって、最後の一夜が始まる──。カンヌ国際映画祭監督週間のほか、上海国際映画祭などでも評価された。

■黒崎煌代インタビュー
――黒崎さんは2022年、レプロエンタテインメントの第1回「主役オーディション」で応募者約5000人の中から選ばれ、俳優デビューされました。応募の経緯を聞かせてください。

【黒崎】 神戸・大阪から少し離れた兵庫県の三田市で育って、大学進学を機に上京したんですが、当時は、コロナ禍まっただ中で、オール・リモート授業だったんです。皆さんも経験したと思うんですが、何かやりたいのに、やれなくて。その時に、現在の事務所のオーディションをインスタグラムで見つけて、その場で応募しました。オーディションを受けたのはこれだけです。それぐらいの“テンション”がありました。

元々、俳優に憧れはあったんですが、それまでなれるとは思っていませんでした。コロナがあって、あのオーディションを受けていなければ、今ここにもいないと思います。

――幼少期から映画や映像に親しまれていたと聞きました。

【黒崎】 父の影響で、それこそ『スター・ウォーズ』をはじめ、たくさんの映画・映像を観て育ったんです。地元の高校に入ると、趣味で映画を撮るようになりました。文化祭では、クラス総動員で出し物として映画を撮って、それが映画の世界に行きたいなと強く思ったきっかけの一つでもあります。僕がカメラマンと監督で、俳優、スタッフに分かれて、皆でわいわい、ガヤガヤとつくった思い出があります。

(上京は東京への憧れ?)いえ、三田には満足していましたし、今でも大好きです。大学は、映画とは関係なく別の分野を学ぼうと、単純に東京の大学を選びました。卒業したら、映画業界に入れたらいいなとは思っていましたけれども。そういう意味で、オーディションを受けたのは本当に偶然でした。

――それから3年間で、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』で注目を集め、多数の映画・ドラマに出演。そして『見はらし世代』でカンヌ国際映画祭に参加されました。とんでもないスピードです。
る。会話がその1ラリーで終わるんです。

【黒崎】 そうですね、ありがたいかぎりです。

――コロナ禍からの3年間、振り返っていかがですか?

【黒崎】 オーディションに応募して、事務所に所属したことは大きいですが、ほとんどキャリアのない中で、映画『さよなら ほやマン』(2023年11月公開、庄司輝秋監督)に出演させていただいたことに感謝しています。今回の団塚監督とも『ほやマン』で出会ったんです。この3年間だけでなく、これからの俳優人生でも『ほやマン』が大きな原点になると思います。

それまでは、ただ映画を観ているだけの映画ファンでしたけれど、実際に経験すると、映画の裏側ってすごい。想像もつかなかったぐらい、すさまじい熱量なんです。俳優はもちろん、スタッフの方ってこんなに大変なんだなと、ありがたいなと、それに一番驚きました。自分は、まだまだ足りないことだらけです。

――団塚監督とは、20代同士の特別な関係を感じます。

【黒崎】 同世代の監督とはお仕事をしたことがなかったので、良い悪いではないのですが、違うなと思うのは、雰囲気で会話ができるところでした。年齢差のある丁寧なコミュニケーションも素敵だけれど、「もうちょっといい感じで」「楽しい感じで(演じて)」と、それで会話が成立するのが、我々の世代、Z世代なのかなと。

蓮という役は、最初はもうちょっと静かで暗い役を想像していたんです。団塚監督に「もうちょっと気のいい感じでいいよ」と声をかけてもらい、私もゆるくしてみる。会話がその1ラリーで終わるんです。

――あまり役作りをされなかったとも聞きました。

【黒崎】 役作りしない(笑)…してはいるんです。正確に言うと、団塚監督のニュアンスを大事にしたくて。監督は、ガチガチに作った俳優・黒崎をあんまり好きじゃないと思うし、そういうレベルでバレてしまう関係なので、黒崎という人間を見て私にオファーをいただいたのであれば、自分をあまり変えず、いじくらなかったという方が、より正しいかもしれません。

――映画初主演という中で、共演者の皆さんとはいかがでしたか?

【黒崎】 私が主演なんですけど、これは家族4人の物語だということを忘れちゃいけない、“家族”として、向き合わないといけないと思っていました。

家族4人同時の撮影があまりなかったので、裏で集まれる時間も作るようにして。遠藤憲一さん、井川遥さん、木竜麻生さんには、主演だから何をするでもない私をやさしく見守っていただきました。鬱屈したシーンもありますが、裏側では笑顔があふれて、本当に家族で作り上げた作品だと思います。

――そうした渋谷の街と家族の変化を重ね合わせた物語が、東京を知らなくても、カンヌ、上海など世界で評価されています。

【黒崎】 変化が起こっているのは渋谷だけでなく、(自分が生まれ育った)三田でも、人口増加1位の時期があって、私のように街から出ていく人がいて、戻って来る人もいて、また変わっていく。それは、良い・悪いではなく、です。その変化のスピードが一番速いのが、日本では東京・渋谷だと思うんです。

街と家族、人の変化というのは、世界的な動きとも重なっていると思います。共生社会などいろんな議論がある中で、街と人、外と内、家族・個人の変容への関心はワールドワイドにあるんだろうなとカンヌでも上海でも感じました。

――英題は『Brand New Landscape』。特にラストの描写は印象的です。新しい日本映画を切りひらくメッセージも込められているように思います。

【黒崎】 それは団塚監督にもあると思いますし、私にも、プロデューサーにも共通した思いです。ただ、私たち、Z世代が新しいというのも“今だけ”です。新しいことができるときに、新しいことをしておかないと。ある種の使命じゃないですけど、それを観ていただき、評価をいただけるのは、単純にうれしいことです。

――黒崎さんご自身、将来を“見はらし”て、どんな俳優になりたいですか?

【黒崎】 自分のかかわった作品を多くの人に届けられる俳優になりたいと思っています。息の長い俳優になるのはもちろん、作品を届けるためには、私自身の知名度も上げていかないといけません。そのために、やったことがないことが、まだまだたくさんあります。今年の残りの3ヶ月は、初めて舞台(※)に挑戦します。まずは、それに全力集中です。

(※)大パルコ人(5)オカタイロックオペラ『雨の傍聴席、おんなは裸足…』(作・演出:宮藤官九郎)東京・PARCO劇場(11月6日~30日)、大阪・SkyシアターMBS(12月4日~14日)、仙台サンプラザホール(12月20日・21日)

――高校時代以来、ご自身で映画を撮りたいという思いは?

【黒崎】 それは最近薄まっているのかな…(笑)。熱量はあるけれど、それ以上に役者として頑張らないといけません。

――最後に全国のファン、地元・関西のファンにメッセージをお願いします。

【黒崎】 映画というものは、大ヒットするアニメ作品も海外作品も、そして日本の実写映画も、かならず普遍的なものが備わっていると思うんです。これは東京の映画であり、渋谷の映画ですが、その中で、地域を問わずご覧いただき、何かを感じとっていただけるものがあればうれしいです。

■プロフィール
黒崎煌代(くろさき・こうだい)
2002年4月19日生まれ、兵庫県出身。22年にレプロエンタテインメントの役者に特化した「主役オーディション」で合格。23年度後期の連続テレビ小説『ブギウギ』でヒロイン・鈴子の弟・六郎役。映画『さよなら ほやマン』で第33回日本映画批評家大賞の新人男優賞などを受賞。『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』、『アフター・ザ・クエイク』などのほか、10月17日公開『ストロベリームーン 余命半年の恋』にも出演。
出身地:兵庫県
趣味:映画鑑賞、映画を観て脚本を書き起こすこと
特技・資格:ドッジボール、スキー、普通自動車免許
身長:175センチ
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