福山雅治、57歳の「気概」 アルバム『超新星』に刻んだ生と死 役作りと曲作りが交わる創作の…
57歳の現在地と創作への「気概」を語った福山雅治

8月6日の東京ドーム公演『龍、涼風至』の本編とアンコールの間に流れるツアー回顧映像に目が釘付けになった。1月から始まったツアー『龍、雷乃発声』の26公演、それぞれの会場に漢字のタイトルがつけられていたのだ。それが古代中国で考案された季節を表す七十二候の中にあるものだと知ったのは数日後だ。ちなみに「雷乃発声」は春分、「涼風至」は立秋を表す言葉の一つだった。あの言葉はどこで知ったのだろう。インタビューはそんな話から始まった。
【写真】福山雅治『超新星』各形態ジャケット写真
■「龍」と七十二候から始まった『超新星』の物語
「僕が大河ドラマで坂本龍馬さんを演じさせていただいたからと言っても、それが自分自身であるかのように考えるのはさすがにおこがましい。『新解釈・幕末伝』の主題歌のオファーを受けて、龍というものがそもそも何なんだと改めて掘り返してみたんですね。龍とはもともとは大変な急流で知られる中国の大河、黄河の流れを逆流して遡上してゆく鯉なのだと。最後、最も流れのきついところ『登竜門』を泳ぎ切った鯉が空に昇って龍になるという龍神伝説からきたものでした」(福山雅治/以下同)。
――すごいところまで遡りましたね。
「龍神というのは大地に五穀豊穣の恵みをもたらす想像上の神でもあるというところに着眼点がたどり着いて、龍馬さんの龍もそこにつながるのではないかと。僕の祖母は農業をやっていましたから祖母の人生に降る雨と龍、龍神伝説を重ね合わせ、本ツアーを季節と人間の物語にしてみた。年末ライブ、アリーナツアー、ドーム、8ヶ月ありましたからね。日本には四季もあり祖先が農耕民も多くいる。自然の恵みとともに生きてきたというところを接続させていって、七十二候にたどり着いていきました」
――去年の12月に行われた『福山☆冬の大感謝祭 其の二十三』のタイトルも『龍がくる』でした。「龍」を書いた時には1月からのツアーとこのアルバムはもうイメージされていたんですか。
「結果にたどり着くといつも思うんですけど、設計図は最初からぼやっとあるんです。でも、決まりきってはいないですね。それをちゃんと言語化したりバラバラになっている着眼点みたいなものを最後にぐっと統合するというか。時に無理やり寄せる場合もあるし、自然とそこに結実してゆく時もある。今回はほぼ全曲タイアップ曲だったんですが、僕はアルバムには書き下ろしが必要と考えている世代なので、書き下ろし2曲はないとね、とはずっと思っていました。曲順は新しいところから遡っています」
――“夢 金 自由 ギター 快感 全部知ったんだろ?”と歌う1曲目の「SUPERNOVA」と「ウシュクベーハー」は、福山さん自身のことでしょう。「ウシュクベーハー」はお酒ですよね。
「やっぱり最後は自分で自分にタイアップしないといけないという縛りで。自分で自分にお題を出すべきだと。57歳シンガーソングライター、福山雅治の現在地を書いてくださいって自分にタイアップのオファーをした2曲です。タイトルとテーマは『超新星』で書いてくださいとセルフオファーを出した曲です」
――そこから遡った15、16、17曲目、2022年に書かれた「光」「妖」「ヒトツボシ」の3曲には“約束された光”とか、“眼に見えるものを人はきっと見たいように見る”とか、“星の生命もやがては終わる”とか、アルバムのテーマの根幹になっていると思えることがすでに歌われていますね。
「アルバムの楽曲を並べてゆくと、自分はどんなふうに、何を感じ考えて生きているんだ? ということが脈々と語られていく。僕はシンガーソングライターとしてソングライティングを仕事にしているので、正直な聴き手に対して自分の考えていること、感じていることに正直にならざるを得ない。制作の入り口としてお題をいただくのがタイアップだとしても、自分の深層心理まで潜り、結果的にはオファーの入り口に戻っていく。朝の情報番組『DayDay.』さんからのオファーもそうです」
――「万有引力」ですね。
「それであの曲が生まれて。人は情報がないと生きていけない。でも、その情報ってどこから来るんだろう? 人づてだったり電波だったり、どこか目に見えないところからやってくる。向こうからこっちは見えていないし、こっちから向こうも見えていない。そういういろんなものが引力のように引かれ合っていって今があり自分がある。それが『万有引力』という言葉に結びついていきました」
■「クスノキ-500年の風に吹かれて-」に宿るロックの精神と視点の転換
東京ドームのステージもそうだしアルバム『超新星』を聴いた時も、あらためて「クスノキ-500年の風に吹かれて-」という曲の重さと意味を再認識させられた。2014年の傑作アルバム『HUMAN』に収録。このアルバムの18曲の中で最も古い曲になる。
ドームツアーのタイトルは『龍、涼風至』だ。「クスノキ-500年の風に吹かれて-」には「涼風も爆風も五月雨も黒い雨も」という歌詞があった。
あの曲に対して今、どう思っているのだろう。
「僕はロックミュージックに憧れてギター人生が始まった、歪んだギターサウンドとともに現状打破の歌詞に影響されて始まった人なので、ロックミュージックっていうのは何かに対してある種の抵抗をするものだと。先入観ですけど今も精神性としてはそう思っています。未来へと人類や人間が進んでいくための新陳代謝というか、何かを壊して新しいものが生まれていく。ロックをやるためにはそういう現状の自壊や瓦解の根源になるような声とか叫びがなければいけない。では、僕の中にそういう叫びがあるのか? とずっと考えてきたわけです」
――自分の中にロックはあるのかという。
「その心の叫びが2014年に発表した『クスノキ』です。僕はデビューが1990年ですけど、『クスノキ』をソングライティングするのに24年かかった。自分の中にあるロックという精神、ロックミュージックで生きてゆく者にとってなくてはならないもの、その根幹の部分を音楽にすると自分自身のルーツという意味も含めて『クスノキ』が誕生した。僕が想像していた自らあふれ出すロックはもっと激しいギターサウンドになるのかと思っていたんですけど」
――あの“我が魂は”という一節が浮かんだ時は、どういう手ごたえだったんですか。
「“我が魂は”という言葉とメロディはデモ音源からありました。あの部分は言葉とメロディーが一緒に生まれてきていた」
――じゃないと出てこないでしょう。
「“我が魂は”は出てきたんですけど、それが誰の何の魂のことを言っているのか当初はわからなかった。“英霊”のことを言っているのかなと思って“英霊”で書き始めてみたんですが、違っていた。戦争や原子爆弾について人間の目線で書くと必ず齟齬や誤解が出るし、複雑で一つにはまとまらない多種多様な見方がある。でも、ここで言わんとしている“我が魂は”はそうじゃない。それこそ天空じゃないですけど、神の視点というか、ちょっと違う立場に視点を置かないと“我が魂”が言いたいことは描けないと思って、ずっと書き進められずにいました」
――そうだったんですか。
「でも、2011年から『ホットスポット 最後の楽園』っていうNHKの自然番組をやって世界中を回って、自然と人類との共生を人間目線で模索思索する。その中で思ったのは、人間の視点だけでは番組のテーマは説明しきれない。人間が知らない生き物たちや自然の生態はまだ無限にあるわけだから。だからと言って“人間が良くないんだ”“人間が地球をダメにしているんだ”ということだけでは責任転嫁が過ぎるし、問題の本質への向き合いが中途半端になる」
――ありがちですよね。
「そこで視点が一気に切り替わった。人間の目線で追うんじゃなくて、自然の目線に立つとどう見えるのか? 植物目線で、生き物目線で、蟻目線やバオバブ目線だとどうなるか? とか。幸いにして僕は俳優をやっているので“視点の逆転”ができたんです。で、出てきたのが「クスノキ」だった。『ホットスポット』の旅で創作の目線、立ち位置が切り替わったんです」
――やはり長崎がテーマになった「Great Freedom」もそういう経緯があるんですか。
「近代長崎がテーマです。僕は長崎で過ごす閉塞感に耐えられなくて18歳の時に街を出た人間。で、『龍馬伝』という巨大な作品に出逢えた。それで改めて長崎の街の成り立ち、幕末という時代の成り立ちを知るわけです。あの頃、正体がわからず苦悩していた閉塞感の正体と五里霧中で格闘していた」
――音楽に走った自分の原点ですもんね。
「150数年前のインフラの最先端は海。海路。ポルトガル船が1500~1600年代に長崎に来航するわけですが、長崎はのちの江戸幕府時代に唯一外交していた街なので、情報、物流、人流の全部が海から、つまり長崎から入っていた。産業革命以降の石炭とか社会エネルギーもそう。長崎には軍艦島とかありましたし。その後に鉄道や陸路が整備されてどんどん生活インフラが変わっていった。街は幕末の情緒を残す観光地ではあったが、新時代の経済システムや最新の交通インフラへのアップデートが滞っていた。おそらくそのムードに18歳の僕は漠然とした違和感や閉塞感があった。それが、長崎の街を出たいと思った理由なんだと思うんです。
――ここに未来を感じられない。
「今から5年ほど前、ジャパネット(たかた)さんがスタジアムシティを作ると知りました。始まりは企業広告のCMで会話させていただいていたんですが、CM企画書の最後の一枚にスタジアムシティについての計画書があった。僕はそれを見て『この構想、凄いですね。是非ご一緒したいです』と。幕末、流通の最先端が海路だった時代に発展した長崎。160年近く経って、その長崎を通信販売事業を根幹とする企業が変える。その革命感とカタルシス。僕の中で一気にイメージが広がった。10代の頃勝手に感じていた閉塞感が嫌で長崎を後にした自分。自由の定義も分からず、ただ自由になりたかった。かつて日本になかったけど今は当たり前になっているその「自由」という概念が自分と結びついた。調べてみると「自由」という概念は江戸時代に輸入されたものだった。大いなる自由「Great Freedom」、これだなと。この組み上がり方が役作りに似てると思っています」
――そう、そこなんでしょうね。
「俳優として役を練り上げる時、この人はその台詞を口にする前に何を考えていたんだろうとか、こうなる前はどんな人生を送ってきたんだろうというのを自分なりに想像し、構築する。それをタイアップ楽曲の制作の際にも取り入れる。役作りのメソッド(手法)による楽曲作りがいつしか体系化できるようになった。曲だけじゃないですけど、特に歌詞ですね」
――その結果、役柄と音楽、俳優とソングライターが一体になるという。
「自分の音楽に対して誰よりも厳しくありたいと思うし、誰よりも認めてあげたいとも思う。自分は本当に人気というものを超えた楽曲が産み出せているのか? 福山雅治という認知度を超えた、更に認知された楽曲が作れているのかというのは今も昔も変わらない自分のテーマとしてあります」
■役作りの手法が導く、福山雅治ならではのソングライティング
役作りと曲作りは似ている――。
福山雅治がこれまでのシンガーソングライターと決定的に違うのがそこなのだと思った。
シンガーソングライターの多くは自分のことを歌う。身の回りのことや日々思うこと。そこにはその人自身が投影されている。彼はそれだけではない。自分の詞曲でありながら彼自身の等身大には留まっていない。作品として自立性を備えている。
それを可能にしているのがタイアップだと思った。
曲使用や曲提供などの一般的な「タイアップ」とは違う創作的、創造的な関係。彼が演じてきたのは、学者や弁護士から、日々を静かに生きようとする市井の人までさまざまだ。普通は体験できない「人生」や「生と死」が題材になっている。「演じる」と「書く」という二つの表現行為が一人のシンガーソングライターの歌として結実するのだと思った。
『超新星』は新曲以外がすべてそういうタイアップから生まれたアルバムだった。
■生と死を見つめてきた原点 父の記憶と創作への自制
「創作の出発点にあるのは僕が17歳の頃の父の闘病だと定義しています。1年間のがん闘病の末、他界しました。同時に死との向き合いはもっと前からありました。祖父母の時代は“産めよ増やせよ”の戦時下の時代だったので父母の兄弟がとても多い。父の兄弟は8人で母方はひとりが生後間もなく亡くなりましたが5人。親戚も多いし冠婚葬祭も多いし法事もよくあった。僕が小学校から中学校の頃は、親類縁者の多くは苛烈な闘病を経て病院で死亡して、自宅に戻ってきて葬儀をするのが通常の流れでした。帰ってきた遺体はまだ温かいから触る。まだ温かいね、と皆んなで言いながら。で、お通夜をやっていくうちに死後硬直が始まって徐々に冷たくなってゆく。そういうのを子どもの時からずっと見ているので、死というのは圧倒的な現実であり誰もが避けられないものだと。どこかでその諦観というのは子どものころからあって。人は必ず死ぬ。だからこそどう生きるかっていうことを周囲の人間よりも過剰に考えていたんだと思います」
――それは前作の『AKIRA』や今回のコメント「生きてこそ、生命あってこそ」にも通じますね。お父様のことは以前から歌おうと思われていたんですか。
「デビューアルバムの『伝言』には未収録の、『On The Hill』という仮タイトルの曲があった。音源としては残ってるかもしれないけど、内容は父親が死んで火葬場で焼かれて煙が昇っていく空を見上げている心象風景が描かれていた。でも、形になってない、というかしていない。それは歌わなかったという抑制ではなくて、表現したい心情に対してそこまでのソングライティングの技量に至っていないという自制だったんでしょう。それを客観視していたんだと思います。やがて4thアルバム『BOOTS』からは楽曲制作全体をディレクションしてプロデュースもするようになっていった。でもずっと父の死を楽曲表現するのはまだまだ、と。『AKIRA』は“時は来た”、というタイミングでした。ソングライティングの技法、歌唱表現、キャリア、実績、総合的に見てここかな、と」
――そういう過程を経ての『超新星』は「拍手喝采」のピアノバージョンで終わっていました。ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』の主題歌。不登校の子どもたちと先生の物語でした。
「これもドラマサイドからオファーをいただいたのでピアノバージョンを作ったんです。今まで主題歌の別バージョンを作ってドラマの中で流すというのはおそらくなかったと思います。新しい試みだったので試しにアルバムラストに置いてみたら、とてもうまくいきました。アルバムが『SUPERNOVA』から始まって、命というものの危うさ、もろさを歌ったさまざまなドラマがあり、最後にもう一回人生賛歌が来る。命の賛歌で、命を全肯定する。自分の命も他者の命も全肯定して再び頭に戻る。『SUPERNOVA』で死と隣り合わせの切迫感というものからアルバムがまた始まってゆく。あ、繋がった、と」
■「努力」よりも「しつこさ」 進化を続ける57歳の気概
――で、初回限定音源盤には「New-Recording Best Album 1990-1999 THE LATEST IS THE GREATEST vol.1」と「New-Mix&Remastering Best Album 2000-2020 THE LATEST IS THE GREATEST vol.2」の2形態があり、「Vol.1」は新たにスタジオライブレコーディングした音源が収録されています。
「この30年近く、一緒にサウンドメイクしてくださるミュージシャンお一人お一人の進化と深化がいつも感動的なんです。この常に現在進行形でアップデートされる音楽を録音したいというのがずっとあって。今ベスト盤を出すんだったら、大事にしたいのは熟成感なんだと。醸造されて時間をかけて更にいい味に熟成されていると自分の中で思えないと。リスナーとして聴いた時に、いや、昔の方が良かったと思うサウンドは少なくない。いやいや!今の方がいいよね!とオーディエンスにも感じてもらえる状態をレコーディングしたいと思っていたんで。長年のライブで培ってファンの皆様にも耳なじんでいただけている今だからというのはあります」
――福山雅治は努力の人だと思ってるのですが、一番努力してきたことって何だと思いますか。
「努力の人というよりも“しつこい人”だと思っています」
――しつこい(笑)。何に対して。
「自分の想像力に対してしつこい。こうなりたい、こうだといいな、という自分が描いたイメージに対してしつこい、諦めないという」
――「THE LATEST IS THE GREATEST vol.2」の最後の曲は「虹」。あの曲で歌っていた“イメージの向こう側”と重なりますね。
「変わってないのは気概じゃないですかね。上京した頃に思い描きイメージしていた姿には全然なっていないですから。少なくとも10代の頃、今のこういう活動になるとは全く思っていませんでした。ライブハウスを回り続けるバンドマンになりたいと思っていたので。でも、「虹」という楽曲には“イメージと違ってもいいんじゃないか? 道が違っても、回り道でも、想像を超えた驚きの自分がそこにいればいい”、と。要は一歩踏み出さなきゃ何ひとつ始まらないということですから」
――「SUPERNOVA」は星の一生に一度の大爆発のことでもありますが、シンガーソングライター、福山雅治にとってそういうアルバムになりそうですか。
「いつ死ぬかわからないというのはずっとありますから。なので表現するものには、美学とか、自分なりに品よくいたいと思っています。いつ死んでもいいや、やり散らかしちゃえ!っていう感じじゃなくて。作品として、作者としてのそういう気概と、美しく磨かれたものへの研鑽はあります。が、曲のストックもそろそろ減ってきたし、人生の逆算としてはそこは切実ですね(笑)。時間と体力との戦い。このアルバムは超新星爆発的気概でやらないとダメだなと思って作ったアルバムです」
東京ドーム公演を見ていて、1992年2月に新宿NISSIN POWER STATIONで行われたライブを思い出した。目の前の客席よりも自分の中のイメージを必死に体現しているような熱演が印象的だった。『伝言』のプロデューサーで、1曲目「PEACE IN THE PARK」を作曲し、福山と詞を共作したギタリスト、白浜久も今年この世を去った。
あれから34年。ほかのソロアーティストによる、どんな東京ドーム公演とも違う堂々とした姿に、今もなおイメージを超えようとする彼の「気概」を見た気がした。
インタビューが終わりに差し掛かった頃に、彼がテレビで口にしていた「役者ロック」の話になった。彼は悪戯っぽい笑みを浮かべながら「田家さん、言っていた張本人でしょう(笑)」と言った。
言い訳がましく言えば「役者ロック」という言葉を使ったことはない。でも、テレビとは距離を置いて活動していた従来のシンガーソングライターと同列に語ろうとしていたことは事実だった。
彼のアルバムへのオフィシャルコメントに「創作活動に悪戦苦闘するシンガーソングライターのあがき」とあった。前人未踏の表現者としての「悪戦苦闘」がたどり着いた57歳の「現在地」に心から「拍手喝采」を送ろうと思う。
取材・文:田家秀樹
【写真】福山雅治『超新星』各形態ジャケット写真
■「龍」と七十二候から始まった『超新星』の物語
「僕が大河ドラマで坂本龍馬さんを演じさせていただいたからと言っても、それが自分自身であるかのように考えるのはさすがにおこがましい。『新解釈・幕末伝』の主題歌のオファーを受けて、龍というものがそもそも何なんだと改めて掘り返してみたんですね。龍とはもともとは大変な急流で知られる中国の大河、黄河の流れを逆流して遡上してゆく鯉なのだと。最後、最も流れのきついところ『登竜門』を泳ぎ切った鯉が空に昇って龍になるという龍神伝説からきたものでした」(福山雅治/以下同)。
――すごいところまで遡りましたね。
「龍神というのは大地に五穀豊穣の恵みをもたらす想像上の神でもあるというところに着眼点がたどり着いて、龍馬さんの龍もそこにつながるのではないかと。僕の祖母は農業をやっていましたから祖母の人生に降る雨と龍、龍神伝説を重ね合わせ、本ツアーを季節と人間の物語にしてみた。年末ライブ、アリーナツアー、ドーム、8ヶ月ありましたからね。日本には四季もあり祖先が農耕民も多くいる。自然の恵みとともに生きてきたというところを接続させていって、七十二候にたどり着いていきました」
――去年の12月に行われた『福山☆冬の大感謝祭 其の二十三』のタイトルも『龍がくる』でした。「龍」を書いた時には1月からのツアーとこのアルバムはもうイメージされていたんですか。
「結果にたどり着くといつも思うんですけど、設計図は最初からぼやっとあるんです。でも、決まりきってはいないですね。それをちゃんと言語化したりバラバラになっている着眼点みたいなものを最後にぐっと統合するというか。時に無理やり寄せる場合もあるし、自然とそこに結実してゆく時もある。今回はほぼ全曲タイアップ曲だったんですが、僕はアルバムには書き下ろしが必要と考えている世代なので、書き下ろし2曲はないとね、とはずっと思っていました。曲順は新しいところから遡っています」
――“夢 金 自由 ギター 快感 全部知ったんだろ?”と歌う1曲目の「SUPERNOVA」と「ウシュクベーハー」は、福山さん自身のことでしょう。「ウシュクベーハー」はお酒ですよね。
「やっぱり最後は自分で自分にタイアップしないといけないという縛りで。自分で自分にお題を出すべきだと。57歳シンガーソングライター、福山雅治の現在地を書いてくださいって自分にタイアップのオファーをした2曲です。タイトルとテーマは『超新星』で書いてくださいとセルフオファーを出した曲です」
――そこから遡った15、16、17曲目、2022年に書かれた「光」「妖」「ヒトツボシ」の3曲には“約束された光”とか、“眼に見えるものを人はきっと見たいように見る”とか、“星の生命もやがては終わる”とか、アルバムのテーマの根幹になっていると思えることがすでに歌われていますね。
「アルバムの楽曲を並べてゆくと、自分はどんなふうに、何を感じ考えて生きているんだ? ということが脈々と語られていく。僕はシンガーソングライターとしてソングライティングを仕事にしているので、正直な聴き手に対して自分の考えていること、感じていることに正直にならざるを得ない。制作の入り口としてお題をいただくのがタイアップだとしても、自分の深層心理まで潜り、結果的にはオファーの入り口に戻っていく。朝の情報番組『DayDay.』さんからのオファーもそうです」
――「万有引力」ですね。
「それであの曲が生まれて。人は情報がないと生きていけない。でも、その情報ってどこから来るんだろう? 人づてだったり電波だったり、どこか目に見えないところからやってくる。向こうからこっちは見えていないし、こっちから向こうも見えていない。そういういろんなものが引力のように引かれ合っていって今があり自分がある。それが『万有引力』という言葉に結びついていきました」
■「クスノキ-500年の風に吹かれて-」に宿るロックの精神と視点の転換
東京ドームのステージもそうだしアルバム『超新星』を聴いた時も、あらためて「クスノキ-500年の風に吹かれて-」という曲の重さと意味を再認識させられた。2014年の傑作アルバム『HUMAN』に収録。このアルバムの18曲の中で最も古い曲になる。
ドームツアーのタイトルは『龍、涼風至』だ。「クスノキ-500年の風に吹かれて-」には「涼風も爆風も五月雨も黒い雨も」という歌詞があった。
あの曲に対して今、どう思っているのだろう。
「僕はロックミュージックに憧れてギター人生が始まった、歪んだギターサウンドとともに現状打破の歌詞に影響されて始まった人なので、ロックミュージックっていうのは何かに対してある種の抵抗をするものだと。先入観ですけど今も精神性としてはそう思っています。未来へと人類や人間が進んでいくための新陳代謝というか、何かを壊して新しいものが生まれていく。ロックをやるためにはそういう現状の自壊や瓦解の根源になるような声とか叫びがなければいけない。では、僕の中にそういう叫びがあるのか? とずっと考えてきたわけです」
――自分の中にロックはあるのかという。
「その心の叫びが2014年に発表した『クスノキ』です。僕はデビューが1990年ですけど、『クスノキ』をソングライティングするのに24年かかった。自分の中にあるロックという精神、ロックミュージックで生きてゆく者にとってなくてはならないもの、その根幹の部分を音楽にすると自分自身のルーツという意味も含めて『クスノキ』が誕生した。僕が想像していた自らあふれ出すロックはもっと激しいギターサウンドになるのかと思っていたんですけど」
――あの“我が魂は”という一節が浮かんだ時は、どういう手ごたえだったんですか。
「“我が魂は”という言葉とメロディはデモ音源からありました。あの部分は言葉とメロディーが一緒に生まれてきていた」
――じゃないと出てこないでしょう。
「“我が魂は”は出てきたんですけど、それが誰の何の魂のことを言っているのか当初はわからなかった。“英霊”のことを言っているのかなと思って“英霊”で書き始めてみたんですが、違っていた。戦争や原子爆弾について人間の目線で書くと必ず齟齬や誤解が出るし、複雑で一つにはまとまらない多種多様な見方がある。でも、ここで言わんとしている“我が魂は”はそうじゃない。それこそ天空じゃないですけど、神の視点というか、ちょっと違う立場に視点を置かないと“我が魂”が言いたいことは描けないと思って、ずっと書き進められずにいました」
――そうだったんですか。
「でも、2011年から『ホットスポット 最後の楽園』っていうNHKの自然番組をやって世界中を回って、自然と人類との共生を人間目線で模索思索する。その中で思ったのは、人間の視点だけでは番組のテーマは説明しきれない。人間が知らない生き物たちや自然の生態はまだ無限にあるわけだから。だからと言って“人間が良くないんだ”“人間が地球をダメにしているんだ”ということだけでは責任転嫁が過ぎるし、問題の本質への向き合いが中途半端になる」
――ありがちですよね。
「そこで視点が一気に切り替わった。人間の目線で追うんじゃなくて、自然の目線に立つとどう見えるのか? 植物目線で、生き物目線で、蟻目線やバオバブ目線だとどうなるか? とか。幸いにして僕は俳優をやっているので“視点の逆転”ができたんです。で、出てきたのが「クスノキ」だった。『ホットスポット』の旅で創作の目線、立ち位置が切り替わったんです」
――やはり長崎がテーマになった「Great Freedom」もそういう経緯があるんですか。
「近代長崎がテーマです。僕は長崎で過ごす閉塞感に耐えられなくて18歳の時に街を出た人間。で、『龍馬伝』という巨大な作品に出逢えた。それで改めて長崎の街の成り立ち、幕末という時代の成り立ちを知るわけです。あの頃、正体がわからず苦悩していた閉塞感の正体と五里霧中で格闘していた」
――音楽に走った自分の原点ですもんね。
「150数年前のインフラの最先端は海。海路。ポルトガル船が1500~1600年代に長崎に来航するわけですが、長崎はのちの江戸幕府時代に唯一外交していた街なので、情報、物流、人流の全部が海から、つまり長崎から入っていた。産業革命以降の石炭とか社会エネルギーもそう。長崎には軍艦島とかありましたし。その後に鉄道や陸路が整備されてどんどん生活インフラが変わっていった。街は幕末の情緒を残す観光地ではあったが、新時代の経済システムや最新の交通インフラへのアップデートが滞っていた。おそらくそのムードに18歳の僕は漠然とした違和感や閉塞感があった。それが、長崎の街を出たいと思った理由なんだと思うんです。
――ここに未来を感じられない。
「今から5年ほど前、ジャパネット(たかた)さんがスタジアムシティを作ると知りました。始まりは企業広告のCMで会話させていただいていたんですが、CM企画書の最後の一枚にスタジアムシティについての計画書があった。僕はそれを見て『この構想、凄いですね。是非ご一緒したいです』と。幕末、流通の最先端が海路だった時代に発展した長崎。160年近く経って、その長崎を通信販売事業を根幹とする企業が変える。その革命感とカタルシス。僕の中で一気にイメージが広がった。10代の頃勝手に感じていた閉塞感が嫌で長崎を後にした自分。自由の定義も分からず、ただ自由になりたかった。かつて日本になかったけど今は当たり前になっているその「自由」という概念が自分と結びついた。調べてみると「自由」という概念は江戸時代に輸入されたものだった。大いなる自由「Great Freedom」、これだなと。この組み上がり方が役作りに似てると思っています」
――そう、そこなんでしょうね。
「俳優として役を練り上げる時、この人はその台詞を口にする前に何を考えていたんだろうとか、こうなる前はどんな人生を送ってきたんだろうというのを自分なりに想像し、構築する。それをタイアップ楽曲の制作の際にも取り入れる。役作りのメソッド(手法)による楽曲作りがいつしか体系化できるようになった。曲だけじゃないですけど、特に歌詞ですね」
――その結果、役柄と音楽、俳優とソングライターが一体になるという。
「自分の音楽に対して誰よりも厳しくありたいと思うし、誰よりも認めてあげたいとも思う。自分は本当に人気というものを超えた楽曲が産み出せているのか? 福山雅治という認知度を超えた、更に認知された楽曲が作れているのかというのは今も昔も変わらない自分のテーマとしてあります」
■役作りの手法が導く、福山雅治ならではのソングライティング
役作りと曲作りは似ている――。
福山雅治がこれまでのシンガーソングライターと決定的に違うのがそこなのだと思った。
シンガーソングライターの多くは自分のことを歌う。身の回りのことや日々思うこと。そこにはその人自身が投影されている。彼はそれだけではない。自分の詞曲でありながら彼自身の等身大には留まっていない。作品として自立性を備えている。
それを可能にしているのがタイアップだと思った。
曲使用や曲提供などの一般的な「タイアップ」とは違う創作的、創造的な関係。彼が演じてきたのは、学者や弁護士から、日々を静かに生きようとする市井の人までさまざまだ。普通は体験できない「人生」や「生と死」が題材になっている。「演じる」と「書く」という二つの表現行為が一人のシンガーソングライターの歌として結実するのだと思った。
『超新星』は新曲以外がすべてそういうタイアップから生まれたアルバムだった。
■生と死を見つめてきた原点 父の記憶と創作への自制
「創作の出発点にあるのは僕が17歳の頃の父の闘病だと定義しています。1年間のがん闘病の末、他界しました。同時に死との向き合いはもっと前からありました。祖父母の時代は“産めよ増やせよ”の戦時下の時代だったので父母の兄弟がとても多い。父の兄弟は8人で母方はひとりが生後間もなく亡くなりましたが5人。親戚も多いし冠婚葬祭も多いし法事もよくあった。僕が小学校から中学校の頃は、親類縁者の多くは苛烈な闘病を経て病院で死亡して、自宅に戻ってきて葬儀をするのが通常の流れでした。帰ってきた遺体はまだ温かいから触る。まだ温かいね、と皆んなで言いながら。で、お通夜をやっていくうちに死後硬直が始まって徐々に冷たくなってゆく。そういうのを子どもの時からずっと見ているので、死というのは圧倒的な現実であり誰もが避けられないものだと。どこかでその諦観というのは子どものころからあって。人は必ず死ぬ。だからこそどう生きるかっていうことを周囲の人間よりも過剰に考えていたんだと思います」
――それは前作の『AKIRA』や今回のコメント「生きてこそ、生命あってこそ」にも通じますね。お父様のことは以前から歌おうと思われていたんですか。
「デビューアルバムの『伝言』には未収録の、『On The Hill』という仮タイトルの曲があった。音源としては残ってるかもしれないけど、内容は父親が死んで火葬場で焼かれて煙が昇っていく空を見上げている心象風景が描かれていた。でも、形になってない、というかしていない。それは歌わなかったという抑制ではなくて、表現したい心情に対してそこまでのソングライティングの技量に至っていないという自制だったんでしょう。それを客観視していたんだと思います。やがて4thアルバム『BOOTS』からは楽曲制作全体をディレクションしてプロデュースもするようになっていった。でもずっと父の死を楽曲表現するのはまだまだ、と。『AKIRA』は“時は来た”、というタイミングでした。ソングライティングの技法、歌唱表現、キャリア、実績、総合的に見てここかな、と」
――そういう過程を経ての『超新星』は「拍手喝采」のピアノバージョンで終わっていました。ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』の主題歌。不登校の子どもたちと先生の物語でした。
「これもドラマサイドからオファーをいただいたのでピアノバージョンを作ったんです。今まで主題歌の別バージョンを作ってドラマの中で流すというのはおそらくなかったと思います。新しい試みだったので試しにアルバムラストに置いてみたら、とてもうまくいきました。アルバムが『SUPERNOVA』から始まって、命というものの危うさ、もろさを歌ったさまざまなドラマがあり、最後にもう一回人生賛歌が来る。命の賛歌で、命を全肯定する。自分の命も他者の命も全肯定して再び頭に戻る。『SUPERNOVA』で死と隣り合わせの切迫感というものからアルバムがまた始まってゆく。あ、繋がった、と」
■「努力」よりも「しつこさ」 進化を続ける57歳の気概
――で、初回限定音源盤には「New-Recording Best Album 1990-1999 THE LATEST IS THE GREATEST vol.1」と「New-Mix&Remastering Best Album 2000-2020 THE LATEST IS THE GREATEST vol.2」の2形態があり、「Vol.1」は新たにスタジオライブレコーディングした音源が収録されています。
「この30年近く、一緒にサウンドメイクしてくださるミュージシャンお一人お一人の進化と深化がいつも感動的なんです。この常に現在進行形でアップデートされる音楽を録音したいというのがずっとあって。今ベスト盤を出すんだったら、大事にしたいのは熟成感なんだと。醸造されて時間をかけて更にいい味に熟成されていると自分の中で思えないと。リスナーとして聴いた時に、いや、昔の方が良かったと思うサウンドは少なくない。いやいや!今の方がいいよね!とオーディエンスにも感じてもらえる状態をレコーディングしたいと思っていたんで。長年のライブで培ってファンの皆様にも耳なじんでいただけている今だからというのはあります」
――福山雅治は努力の人だと思ってるのですが、一番努力してきたことって何だと思いますか。
「努力の人というよりも“しつこい人”だと思っています」
――しつこい(笑)。何に対して。
「自分の想像力に対してしつこい。こうなりたい、こうだといいな、という自分が描いたイメージに対してしつこい、諦めないという」
――「THE LATEST IS THE GREATEST vol.2」の最後の曲は「虹」。あの曲で歌っていた“イメージの向こう側”と重なりますね。
「変わってないのは気概じゃないですかね。上京した頃に思い描きイメージしていた姿には全然なっていないですから。少なくとも10代の頃、今のこういう活動になるとは全く思っていませんでした。ライブハウスを回り続けるバンドマンになりたいと思っていたので。でも、「虹」という楽曲には“イメージと違ってもいいんじゃないか? 道が違っても、回り道でも、想像を超えた驚きの自分がそこにいればいい”、と。要は一歩踏み出さなきゃ何ひとつ始まらないということですから」
――「SUPERNOVA」は星の一生に一度の大爆発のことでもありますが、シンガーソングライター、福山雅治にとってそういうアルバムになりそうですか。
「いつ死ぬかわからないというのはずっとありますから。なので表現するものには、美学とか、自分なりに品よくいたいと思っています。いつ死んでもいいや、やり散らかしちゃえ!っていう感じじゃなくて。作品として、作者としてのそういう気概と、美しく磨かれたものへの研鑽はあります。が、曲のストックもそろそろ減ってきたし、人生の逆算としてはそこは切実ですね(笑)。時間と体力との戦い。このアルバムは超新星爆発的気概でやらないとダメだなと思って作ったアルバムです」
東京ドーム公演を見ていて、1992年2月に新宿NISSIN POWER STATIONで行われたライブを思い出した。目の前の客席よりも自分の中のイメージを必死に体現しているような熱演が印象的だった。『伝言』のプロデューサーで、1曲目「PEACE IN THE PARK」を作曲し、福山と詞を共作したギタリスト、白浜久も今年この世を去った。
あれから34年。ほかのソロアーティストによる、どんな東京ドーム公演とも違う堂々とした姿に、今もなおイメージを超えようとする彼の「気概」を見た気がした。
インタビューが終わりに差し掛かった頃に、彼がテレビで口にしていた「役者ロック」の話になった。彼は悪戯っぽい笑みを浮かべながら「田家さん、言っていた張本人でしょう(笑)」と言った。
言い訳がましく言えば「役者ロック」という言葉を使ったことはない。でも、テレビとは距離を置いて活動していた従来のシンガーソングライターと同列に語ろうとしていたことは事実だった。
彼のアルバムへのオフィシャルコメントに「創作活動に悪戦苦闘するシンガーソングライターのあがき」とあった。前人未踏の表現者としての「悪戦苦闘」がたどり着いた57歳の「現在地」に心から「拍手喝采」を送ろうと思う。
取材・文:田家秀樹
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