【インタビュー】「もう一度、歌ってみよう」平野レミ×クミコが語るシャンソンと人生――12月…
(左から)クミコ、平野レミ

【写真】楽しそうにトークをするクミコ&平野レミ
■クミコさんからのお誘いで、もう1回がんばってみようと思って
平野レミ(以下、レミ) 今年の2月に代々木上原にある「けやきホール」でベテランのシャンソン歌手、仲マサコさんが歌うバルバラの「いつ帰って来るの」を聴いたの。仲さんも私も夫を亡くして悲しい思いをしてるでしょ。だから聴きながらその思いがかぶってきてね。シャンソンってなんて綺麗なメロディーの曲が多いんだろう、と改めて感じたの。
それで、あるシャンソン歌手の方から、銀座にあるシャンソンのライブハウス「蛙たち」に出ませんかってお声がかかったの。そこで2曲、「バラ色の人生」と「シャンソン・ド・レミ」を歌ったのね。あとで録音を聴いたらとってもヘタで(笑)。歌はもうダメだ、と思ったの。ところがクミコちゃんに「12月3日、有楽町よみうりホールに出ませんか」ってお誘いを受けて。クミコちゃんに背中を押されて、新しい扉が開いたのよ。もう1回がんばってみようと思って、ボイストレーニングも始めたの。
和田さん(イラストレーター・和田誠さん)が私を嫁にもらいたい、と父にあいさつに来たときに、お父さんがこう言ったんだって。「レミはシャンソンが好きだから取り上げないでやってくださいね」って。そして結婚。あっという間に子供たちは大きくなって家を出ていった。大きなテーブルも小さくなり、和田さんとご飯を食べていたときに「これで私もうやることがなくなった」って言ったら、和田さんがこう答えたの。「レミにはまだやることがあるよ」って。そのあとレミパンが大いに売れちゃったのね(笑)。そしたら和田さんがね、こう言うのよ。「そのお金の使い道がないだろ。それでCDを作ろう」って。それで超一流のミュージシャンをメンバーに入れて、フルオーケストラで歌ったの。出来上がったCDを外国人墓地に持って行って「お父さん、できたよ」って見せたの。歌はやっぱり好きなのよね。
クミコ そのときは歌手を続けていたんでしょう?
レミ 歌ってた。でも歌手って新しいドレスを作ったり、音合わせとか化粧したり大変じゃない、やることがいっぱいあって。面倒くさいなって思っていた矢先に料理の仕事がどんどんきちゃってさ。和田誠さんの女房ってことで、私に仕事を依頼してきたのよ。
私が料理作ってみんなにごちそうするでしょ。そうするとみんな「おいしい、おいしい」って言ってくれるじゃない。私が歌ってバァーって拍手をもらうのと、幸せな感じが一緒なの。だったらシャンソンじゃなくて、料理やろうと思ったの。面倒くさくないからね(笑)。私は小さい頃、日本の歌謡曲はあまり好きになれなかったの。でも、シャンソンはメロディーが綺麗なのよ。(フランス語で)「Parlez-moi d'amour~」とかさ。
――「聞かせてよ愛の言葉を」ですね。お父様の平野威馬雄さんはフランス文学者でいらっしゃるから、幼い頃からフランス語は耳に馴染んでいたでしょう?
レミ 父から「ちゃんと真面目に習うかい?」と聞かれたの。佐藤美子さんっていう、やっぱり外国の血が半分入った先生がいたのね、横浜に。で、習うことになった。そしたら「教えてあげるけど、プロになってはいけませんよ」って言うの。「なんで」と尋ねると、「プロはお金を取る商売で、お金ってとっても汚らわしいものだから、絶対にお金のことは考えてはいけませんよ」って答えたの。それでね、先生、私から月謝を取ってたよ。(笑)。でも、先生に内緒で、日航ミュージックサロンのオーディションを受けたの、ダメもとでね。そしたら受かってね、そこで歌ったらギャラを1350円もらったの。
――そのお金を月謝で持っていったら、「汚らわしいから払わなくていいです」って言われましたか?
レミ いいえ!(笑)
■私の歌を聴きにきたはずなのに……
――クミコさんはどんなきっかけで歌の世界に入られたんですか。
クミコ 早稲田大学を卒業して、ヤマハのポピュラーソングコンテストを受けました。それからヤマハ世界歌謡祭に出場したんですが落選しました。その頃、銀巴里の新人オーディションに応募したんです。ちょうど金子由香利さんが大ブレイクしていたときだったので、新しい人材を採用してみようということで出演が決まりました。当時の私は越路吹雪さんの歌う「サン・トワ・マミー」しか知りませんでした。銀巴里には越路さんのレパートリーを歌う人はいなくて、異端者のように見られましたね。そこで、レミさんと出会ったのです。1982年に銀巴里に入って、その後、何回かご一緒する機会がありましたよね。
レミ うん、そうだった。あるとき、TBSのディレクターが「レミさんの歌を聴きたい」ってやってきたの。一緒に出てたクミコちゃんの歌を聴いたらその人、「クミコさんの歌はいいね」って、クミコちゃんの話ばかりなの(笑)。
クミコ TBSが放送してた『沢田研二ショー』っていう番組があったんですね。7月に「シャンソンの日」っていうのがあって、そこになぜか呼ばれて。頭の先から靴まで、上下で3000円しない服装で行ったんです。そのとき、エノケン(榎本健一)さんのヒット曲「洒落男」を替え歌にして歌いました。そんな歌をシャンソンの殿堂である銀巴里でも歌っていたの。だから社長にも嫌われちゃったんだと思うのね。マネージャーから「銀巴里もそろそろクビだね」と言われたんですけど、そうこうするうちに銀巴里が閉店することになって。
あのときの『沢田研二ショー』のもうひとりのゲストは嵯峨美子さんでした。銀巴里の先輩で素敵なシャンソンを歌っていらっしゃいました。この人ならわかるけど、なぜ私なんだろうと思った。
レミ ほんとはそのディレクター、私を使おうと思って銀巴里に来たんだけど、クミコちゃんがいたから乗り換えちゃったんだよ(笑)。
クミコ 素通しのメガネかけて、髪チリチリで「俺は村中で一番~」って歌ってた。1920年代の大正から昭和にかけて流行したモボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)の時代に、田舎から出てきた青年の歌だったんだけど、二丁目で騙されるという歌にしちゃった。
■12月のコンサートではどんな曲を?
――12月3日、東京・有楽町よみうりホールで開催される『ニッポン・シャンソン・フェスティバル2025』に、クミコさん、松田美由紀さん、中澤卓也さんとともにレミさんも出演されますね。どんな曲を歌われる予定でしょうか。
レミ 東京芸術大学の先生、松田昌さんが作った曲があってね。「私ひとり」っていうの。その人がピアニストとコンサートをしたのよ。ピアニカを演奏してね、すごくよかったの。で、CDを出すときに、和田さんに作詞を頼んだの。「悲しい時は星を見ると、星が全部いろいろなことを救ってくれるよ」っていう、いい歌詞でね。自分が先にこの世を去ることがわかっていて、私を応援してくれるような歌だったの。それを聴くと涙出てきちゃうんだけど…。歌うと泣いちゃうから、歌わないね。
――(取材現場にいた全員)えー!(笑)
クミコ 歌わないの!?
――そこまでおっしゃったなら、歌いましょうよ。「聞かせてよ愛の言葉を」のほかに歌いたい曲は?
レミ 先日、テレビ収録用に歌ったのは「リヨン駅」。ヴァース(歌い出しの語り部分)があると良いねって和田さんが作っちゃったの。「シャンソン・ド・レミ」も和田さんで、「バラ色の人生」も和田さんの訳詞。
クミコ これからもやろうよ、せっかくなんだから。
レミ それから、「おまえが生まれた日~どうして」。これも和田さんの歌詞。
クミコ ほんと、シャンソンティックな歌だ。
レミ 和田さんってね、会社から帰ってくると必ず「何かやることある?」って聞いてくれるの。私が文章を考えていると読んでくれて。「この最後の文章を始めに持ってくるといいよ」って直してくれるの。すると俄然よくなっちゃうの、ほんと。
――何気ない和田さんの心遣いが伝わってきて、素敵な夫婦関係が感じられますね。
レミ 和田さんて本当に控えめな人なの。ベストジーニスト賞とか、自分に似合わない賞は一切もらわないの。静かな、静かな人なの。それで、仕事でもタダでやっちゃってたみたい、ポスターでも何でも(笑)。和田さんが亡くなったあと、経理のことを見に息子が会社に行ったんだって。帰ってきてこう言ったのよ。「お母さん、お父さんはお金に無頓着だったみたい、本当ならもう少しお金持ちだったんだよ」。お金のことは二の次で大好きな仕事を優先でやっちゃってたのよね。
和田さんはお金が嫌いなの。私「レミパンで儲かった、儲かった」って言ったら、「レミはお金が本当に好きなんだね」って(大笑)。
――佐藤美子さんにしても、「お金はダメ」と言う人がまわりにいらっしゃるのに、レミさんはお金が好きなんですね。正直でいいじゃないですか。
レミ そう、そう。儲かったって言っても、ほんの少しですけどね。
――お料理を作りながらも歌っていらっしゃいますか?
レミ そう。いつでも歌っちゃうね。買い物に行くときでもね、デカい声で歌いたくなっちゃうの。下手だけどね。息子たちが小さいときは「恥ずかしい、やめて」って言ってたけど。
■フランス文学者の父がシャンソンの訳詞をしてくれた!?
――普段の生活の中に歌やシャンソンがあるんですね。
レミ だって、小さいときから家には78回転のSPレコードがあってね。お父さんの友人のフランス人やアメリカ人がいっぱい来て、レコードも持ってくるの。マネして歌うんだけど、フランス語の歌詞しかなかったから父に「日本語にして」って言ったの。
それでさ、きれいな詞を書いてくれたけどさ。「もっとスケベに書いて」って言ったの。お父さんは嫌がったけど「もっとスケべじゃなきゃダメなの、書いて」ってね。越路吹雪さんが後年、「サン・トワ・マミー」として歌うようになった曲ね。お父さんの訳詞はこう。「もうダメなの/何もかもなの/あなたなしでは/この世は闇よ…」。お父さんが作ってくれたの、まだ誰も歌っていない頃に。
クミコ 「あなたなしでは」って、原題の " Sans toi mamie " の文字どおりですよね。
――これ、いいじゃないですか。さすがですよ。平野威馬雄さんといえば、モーパッサンの翻訳などをされたフランス文学の大家(たいか)でいらっしゃるのに、シャンソンの訳詞もされるなんて素晴らしい。
レミ だから私は、父親にも夫にも恵まれてたみたい。
――料理の仕事が忙しくなって歌わなくなったけれど、歌いたいという気持ちはずっとあった。常に歌が頭の中に鳴り響いていたというわけですね。
レミ 歌はいいですよね、下手だけどね。
クミコ そんなことないって!
――レミさんご自身では、訳詞はなさらないんですか。
レミ しない、しない。何もできない。みんなまわりがやってくれるから。私はただ生きてるだけ。
――1曲でも、レミさんの訳詞があれば面白いなって思ったんです。
レミ ああ、ほんとね。嘘ついちゃう?「おまえが生まれた日」は私の作品だよって。(笑)。
――(全員)ダメでしょう、それは!
■レミさんの個性を発揮する、唯一無二の歌世界を
――よみうりホールのような、1000人を超える会場はお久しぶりですか?
レミ 久しぶりも何も、歌ってないから、全然。本当に35年ぶりですよ。ライブハウス出演もないし。
クミコ レミさんには4曲続けて歌うのではなく、喋ってから歌ってもらうから心配しないでくださいね。
――12月のコンサートは、クミコさんとは銀巴里以来の顔合わせですか。
クミコ 再会のきっかけは、2024年10月にビルボードライブで開かれた、加藤登紀子さんの歌手生活60周年をお祝いするパーティーでのことでした。出席者だったのですが、舞台に上げられて。でも、その前にも再会しているんですよ、私たち。2019年、渋谷公会堂が建て替えられてLINE CUBE SHIBUYAになってからで、和田さんが亡くなられたあとでした。何かのイベントで、徳光和夫さんが司会をしていらしたと思う。私も歌わなきゃならなくなった。その場に、レミさんも出席されていたんですよ。
レミ えっ、そうなの。
クミコ 私も細かいことは忘れちゃったんだけど、隣の楽屋にごあいさつに行ったとき、レミさんは「歌わないけどトークで呼ばれて来たの」っておっしゃったの。それが再会でしたね。
――最後に、12月のよみうりホールはどういうコンサートにしたいですか。
クミコ 料理愛好家・平野レミさんがどんな歌を歌うのか、みなさんどうぞ楽しみにしていてください。唯一無二の歌ですから。
レミ 最初で最後だから(笑)。
クミコ やり始めたら、続けるんですよ。せっかくここまできたら、最後にはできません。
レミ そうよね。ボイトレも頑張って、やっぱり料理より歌かな?って思い始めちゃった(笑)。クミコちゃんは発声練習とか、家でワァーってやってるの?
クミコ 以前はやっていたけれど、最近はそんなに大きな声を出していないです。これと思う曲をずっと歌っていたらその音域に慣れるから、その曲をひたすら練習すればいいんです。声楽家じゃないんだから、大きな声を出さなくてもマイクがあります。同じ歌を5曲なら5曲を繰り返す。それを一日のうちに何回もやっていると、その音域に気持ちが乗ってくるから大丈夫。
レミ うん、わかった。伴奏を録音したカラオケを使って練習バンバンしてるから楽しみにしていてね。
■『ニッポン・シャンソン・フェスティバル 2025~大人のためのシャンソンティックな歌たち~』概要
日時:12月3日(水)午後5時開演
会場:東京・有楽町よみうりホール
出演:クミコ、松田美由紀、中澤卓也、平野レミ
■テレビ番組『ニッポン・シャンソン~人生は素晴らしい~』
放送日時:10月25日(土)午後2:00~2:54 <BS朝日>
出演:クミコ/中澤卓也/平野レミ/松田美由紀(50音順)
※コンサートに先駆けて、クミコ×平野レミの歌唱をいち早くテレビ番組で披露
■クミコ プロフィール
1982年シャンソニエ「銀巴里」でプロ活動をスタート。2002年「わが麗しき恋物語」がヒット、10年「INORI〜祈り〜」で第61回NHK『紅白歌合戦』初出場。14年、「広い河の岸辺〜The Water Is Wide〜」がロングヒットして話題に。24年岩谷時子賞特別賞をシャンソン歌手として初受賞。25年6月シャンソンベストアルバム『シャンソンティックな歌たち〜「出逢い」が歌を運んだ』をリリースするなど、さまざまなメディアへの出演、全国各地でのコンサートなど各方面で精力的に活動中。
■平野レミ プロフィール
料理愛好家(もともとはシャンソン歌手)。“シェフ料理”ではなく“シュフ料理”をモットーに、テレビ、雑誌で数々のアイデア料理を発信。人間ドックで「5年間来なくていいです」と言われた健康体を武器に、講演会やエッセイを通じて、明るく元気なライフスタイルを提案。また、特産物を使った料理で全国の町おこしにも参加。著書は50冊以上におよぶ。
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