山田裕貴、父を看取った今思うこと リスナーにまっすぐ呼びかける「いっぱいしゃべってあげて」

2025/09/02 02:29 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

山田裕貴(C)ORICON NewS inc.

 俳優の山田裕貴が、1日深夜放送のニッポン放送『山田裕貴のオールナイトニッポン』(毎週月曜 深1:00)に出演。8月26日に、自身のXを通じて父で中日ドラゴンズ、広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手の山田和利さんが60歳で死去したことを報告して以降、初の放送となったが、父を看取った今感じることを、リスナーにまっすぐ届けた。

【写真】4年前からがんで闘病…ほほ笑む生前の和利さん

 4年前のがん宣告時には余命半年から1年と言われていたそうだが「そこから本当によく頑張ったと思う」とコメント。去年、同番組で家族共演を果たしたが「覚悟は何回かできて、自分の中ではしっかりせなと思っていたんですけど。だから、本当にこんなこと言ったらなんですけど、このラジオで思い出を作りたかったんです。その時もオヤジは来てくれるかなって。そういうのでしゃべりたがらないオヤジだったんですけど、ものの見事におしゃべりしていましたね(笑)。リスナーのみなさん、本当にありがとうございます!あそこから、会話が増えたんですよ。一生忘れませんし、一生宝物にします」と呼びかけた。

 その上で「今僕が思う、率直な感想は、たぶんこれは親がいつ死んでもそう思うんだろうな。もっとしゃべりたかったな…なんです。聞いている学生の子たち、自分のところはまだ大丈夫と思っている人とかいたら、いっぱいしゃべってあげてください。絶対いつか後悔します。今のうちに、しゃべられる人とはしゃべっておいたほうがいいと思います。逆に紛れさせてもらっていますけど、聞いている人がもしいたら、みんなちゃんとしゃべろう。しゃべっておかないといけない人は、いっぱいいる。それを思ったな。オレは、オヤジには感謝だし、厳しく育ててもらったので、厳しい世界でもやっていけるんだな」と話していた。

 和利さんは、1965年6月3日生まれ、愛知県出身。東邦高校から83年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。内外野守れるユーティリティープレイヤーとして活躍。91年に広島東洋カープへ移籍し、96年に中日ドラゴンズに復帰するも、そのオフに引退。以降両チームで打撃コーチ、守備・走塁コーチなどを務めた。プロ通算227安打、22本塁打、102打点。

 番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。
ORICON NEWS

エンタメ

注目の情報