小林幸子&コロッケ、ケイダッシュ・川村龍夫会長との突然の別れに涙「感謝しかない」

2025/08/05 19:18 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

川村龍夫会長に感謝を伝える(左から)小林幸子、コロッケ(C)ORICON NewS inc.

 7月30日に84歳で死去した芸能事務所・ケイダッシュの川村龍夫会長の通夜が5日、東京・護国寺 桂昌殿にてしめやかに営まれた。小林幸子、コロッケが弔問に訪れ、川村会長との別れをしのんだ。

【写真】突然の別れに涙をみせた小林幸子&コロッケ

 報道陣を前に、小林は「信じられませんでしたし、ずっと信じてなかったです…」といい、コロッケも「信じたくないというのが本音です」と突然の別れにつらい心境を明かす。小林はデビュー60周年の際も背中を押してくれたといい、「会長がいなかったら存在していないくらい、本当にお世話になりました。(遺影の)笑顔が逆につらくて…」と声を詰まらせる。

 コロッケも「こんなに優しい人って芸能界にいらっしゃるんだなと…」と涙し、「自分の芸事もちゃんと観てくれて、まっすぐ進んでと言われましたので、これからも会長に観ていただけるように、芸事を一生懸命頑張っていきたいと思います」と誓った。

 小林は「やっとここにきて、亡くなられたんだなと実感しています。感謝しかないです…ありがとうございましたしかない。本当にお世話になりました」と伝えた。

 川村会長の遺影には、2016年6月に千葉・浦安の三社祭にて撮影された写真が採用された。会場は白を基調としたシンプルかつスタイリッシュな設えに。祭壇は、ダリア・バラ・ユリ・胡蝶蘭を中心に用い、落ち着きの中にも華やかさを感じられる、洗練された雰囲気が重視された。

 川村会長は、1941年1月20日生まれ、東京都出身。市川高校の同級生である歌手・鹿内孝に誘われ芸能界入り。「鹿内タカシとブルー・コメッツ」のマネージャーとして活動を始め、後に「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のマネージャーとして活躍。その後、田辺エージェンシー副社長、バーニングプロダクション取締役を兼任し、1993年に芸能事務所「ケイダッシュ」を設立した。
ORICON NEWS

エンタメ

注目の情報