山下達郎ロングインタビュー【前編】シュガー・ベイブ『SONGS』が“50年の歴史に耐える作…

山下達郎

■レコーディングの環境としては劣悪、でもそのおかげで“ガレージ・レコーディング”みたいなサウンドになった
――シュガー・ベイブが1975年にリリースした唯一のフルアルバム『SONGS』が発売50周年ということで、50周年記念パッケージが発売されます。それにともない、今回は完成当時の時代背景や、達郎さんのお気持ちに焦点を当ててお話を伺わせてください。改めて、50年ってすごい年月です。
リリース当時、僕は22歳だから、今、72歳になりました。
――ひとつの作品が半世紀にわたって音楽ファンから愛され続けているという点においても、ものすごい話で。今回は2枚組のCDの他、LP盤やカセットテープでの発売もあります。CDのほうには、ボーナスディスクとして1994年に行われた『TATSURO YAMASHITA SINGS SUGAR BABE LIVE in 1994』のライブ音源が同梱されているのもトピックですね。
『SONGS』のリマスター盤を初めて出したのは20周年直前の1994年のことです。10年後の30周年盤は大瀧詠一さんに監修していただき、僕はボーナストラックの選定のみ関わりました。さらに40周年盤では、リミックスまで作って、ボーナストラックの内容も含めてやりたいことはほぼ全部やってしまいました。『SONGS』のアニバーサリーに関しては、40周年盤がほぼパーフェクトだと思っています。なので、今回の50周年盤は純粋に“お祝い”という感じです。本編のボーナストラックなどは割とシンプルにしてあって、でもそれだけじゃ申し訳ないので、ライブ音源をボーナスディスクとして付け加えたんです。
――パッケージの内容についてはまたのちほど伺うとして、まずはオリジナルの完成時のことをお聞きしたいのですが、制作時のことは覚えていますか? 特に心に残っていることなどがあれば教えていただきたくて。
【画像】名盤『SONGS』を制作したシュガー・ベイブのメンバーショット
覚えてますよ。『SONGS』のオリジナル盤のLPには帯が付いているのですが、そこに「決定!! ニューミュージックへの道 全ての音楽の進むべき道がここに見えた」って書いてあるんです。つまりあの頃、それまでは“日本語のフォークとロック”なんて呼んでいたところに、“ニューミュージック”って言葉が出てきてね。誰が作った造語かはわかりません。ただ、当時“ニューミュージック”と呼ばれたジャンルは、今のサブカルチャー以上にサブカルチャーという感じでした。
――音楽シーンの中心にあるジャンルではなかったんですね。
そうです。『SONGS』は、エレックレコードという、日本のインディーズレーベルの走りのような会社からリリースされていて、ジャレードやNRCといった大手レコード会社の流通システムを通していない、自主流通の会社でした。もちろんレコード協会にも加盟してないから、本当のインディーズ。泉谷しげるさんや吉田拓郎さんのヒットがあったし、ずうとるびや、まりちゃんズとかもいたけれど、それでもあくまでインディーズなんですよね。で、シュガー・ベイブは当初、東芝と契約する予定だったんです。1974年の春にニッポン放送のスタジオで、いわゆる“LFデモ”と呼ばれる4曲のデモテープを録音したんですね。そのときは「東芝との契約が決まるから、7月からレコーディングを始めるぞ」という話だったんだけど、8月になっても全然音沙汰がない。それからしばらくして、「発売元がエレックになった」って。「なんだそれ!」っていうね(笑)。サブカルチャーだったんで、そういうことがいろいろあったんですよ。背景には、はっぴいえんどが所属していた事務所の負債とか、大瀧さんの個人レーベルであるナイアガラとレコード会社との契約など、複雑な問題があったようです。
――メジャーではない故の紆余曲折があったんですね。
ただ、まあ、こういった金銭問題だったり、どのレーベルからリリースするかだったり、そういう僕らの関係ないところでごちゃごちゃしていた話が、のちのキャリアにプラスにもマイナスにもなってるんですよね。
――プラスの面を教えていただけますか?
当時、エレックは潰れる寸前で、毎日社長が変わる、みたいな状況だったんですよ。コンソールもテープレコーダーも債権者の抵当に入ってるような状態でした。結果、レコードが出ても印税は1銭ももらえなくて、数ヶ月後には会社が倒産しました。スタジオも酷くてね(笑)。新宿の雑居ビルの2階にあって天井が低いし、1階ではレコード発送の段ボールを梱包してるようなところでした。機材も十分とはいえなかった。レコーディングの環境としては、はっきり言って劣悪だったんですけど、逆にそのおかげで、ものすごくインディーな…要するに、“ガレージ・レコーディング”みたいなサウンドになったんです。しかも大瀧さんがミックスをしているから、一般的なエンジニアの着想とはまったく違うやり方です。それもプラスに働いてるんですよ。
――正攻法のレコーディングではない故に、面白味や独自性が生じたんですね。
そうです。一般的なレコード会社の職業エンジニアが録った音じゃなかったことが、結局のところ、50年の歴史に耐える作品になったひとつの理由なんじゃないかと思うんです。もしも溜池山王にあった東芝のスタジオみたいなちゃんとしたところで、歌謡曲を録っているようなエンジニアにレコーディングしてもらってたら、ああいう音にはなりませんでしたから。だから、偶然なんですよ。別に意図したものじゃない。
――メジャーレーベルと契約していたら、サウンド的にも行儀良くなっていたかもしれませんね。
そうですね。そしてたぶん、歴史の試練には耐えられなかった。メロディーは綺麗なんです。当時、メジャーセブンス・コードを使うようなバンドは他にあまりいませんでしたから。だけど、音はパンクなんですね。そのアンバランスというか、ギャップというか、そういう作品が他にない。だからマーケットの中でも異端でした。エレックのスタジオでは、あちらのスタッフといろいろトラブルがあってね。その結果、大瀧さんは福生の自分のスタジオ(福生45スタジオ)でソロアルバムを作るんだけど、『SONGS』のときには福生のスタジオはまだ工事中だったんです。ナイアガラ・レーベルもまだスタートしたばかり。本当は大瀧さんのレコードを第1弾にしなきゃダメだったんだけど、曲ができなかったっていう(笑)。
――結果、ナイアガラ・レーベルの第1弾作品はシュガー・ベイブになったという。大瀧さんのスタジオが間に合ってたら、『SONGS』のレコーディングも福生だったんでしょうね。
そこで録っていたでしょうね。『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次によるユニット、ナイアガラ・トライアングルのアルバム。1976年発売)は福生で録ってるんです。「ドリーミング・デイ」とか、「パレード」とかね。あれも変な音してるんだよね、不思議なアンビエンスで。話を戻して、50年前のあのときは「何でこんなとこでやんなきゃなんないの?」なんていろいろ不満でしたけど、結果としてそれらがプラスに働いた部分もある。面白いよね。人間の運命はわからない。『SONGS』は、大瀧さんと僕の制作方針の違いなどもあって、現場ではそれでいろいろとぶつかったりもして、とにかく環境が劣悪だったので、「せめて曲だけでも聴いてくれ」という思いを込めて、『SONGS』っていうタイトルにしたんですよ。
――いろいろあったとはいえ、バンドとして初めてのアルバムができたことに対する感慨などもあったのではないですか?
いやあ、それどころじゃなかった(笑)。それに僕の場合、昔からレコードを作ると、いつもすごく落ち込むんです。「何てモノを作っちゃったんだろう」「もう、これで俺の音楽人生は終わりだ」みたいなね(笑)。ソロになってからもずっとそう。そのくせ、次を作るときには、必ず前の作品のほうが良く聴こえる。『SONGS』のときも、どうなることかと思った。ソロでもネガティブになるくらいですから、バンドだったらもっとです。しかも、シュガー・ベイブは僕のワンマンバンドでしたから。アレンジも全部僕が決めてるし、いろいろとみなさんにはご迷惑をおかけしました。独裁者でしたからね(笑)。
■ポップミュージックには“聴き手を触発する音楽”と“作り手を触発する音楽”がある
――リリース時の反響などは?
ライブハウスの空間での反応と、オリコンチャートなどでの反応が、まったく違うんですよね。オリコンの100位になんか、もちろん入らなかった。「DOWN TOWN」のシングル盤が北関東地区のみで70位とか、そんな感じでしたからね。宣伝費も雀の涙だったし。大体、エレックの作品はレコード屋に置いてないわけです。発売当時レコード屋で『SONGS』を見たことがありませんから(笑)。エレックが潰れちゃったんで、『SONGS』が実際に何枚売れたかもわからないんですが、一応7000枚って言われている。今でもよく覚えてるのが、大瀧さんがソロアルバムを出したとき、細野さんのソロアルバムの『HOSONO HOUSE』が5000枚で、大瀧さんが7000枚だったかな。それで「俺のほうが勝ってる」って威張っていたのをよく覚えています(笑)。そのくらいのレベルだったんですよ。今だってインディーズだとロットは5000枚くらいでしょ。下手すりゃ500枚なんてのもある。普通のレコード会社で出していたらどうなったかわからないけどね。
ただそのあと、僕は1982年にMOON RECORDSって自分のレーベルを立ち上げたでしょ?そこにスタッフが17人いたんですが、そのうちの5人が『SONGS』のオリジナル盤を持っていました。つまり、たぶんポップミュージックには、“聴き手を触発する音楽”と“作り手を触発する音楽”があって、例えばピンク・レディーを聴いて育った人がミュージシャンや音楽業界に来ることって、あまりないと思う。だけど『SONGS』を買った7000人の中には、音楽業界に来ている人がとても多い。そういう“業界シンパシー”みたいなものも、『SONGS』が残っている理由かもしれません。
――“玄人受け”のような。
そういう音楽の特質は、はっきりあると思います。例えばジェフ・ベックやオーティス・レディングが歴史に残ってるのは、それを聴いて育った人間がたくさん音楽業界に入ってきて、ミュージシャンや評論家の立場から熱く語ってきたからだと思う。忌野清志郎さんが語り、また歌ってきたことなど、まさにオーティス・レディングをアイコンとして成立させたひとつの要因なわけで、次は忌野清志郎さんが新たなアイコンになっていく。そうやって作り手を触発していく。そういうファクターがあるよね。
――達郎さんの音楽のファンも、音楽業界にたくさんいますよね。
とはいえ、僕の音楽は簡単なんですよ。特にシュガー・ベイブは、演奏力がそんなになかったので。
――そうですか?
インタープレイのような演奏はあまり望めなかった。だから、ポリリズムというか、リズムパターンを複合して複雑化する。ひとつひとつの楽器のパターンは簡単なんだけど、それを一緒にやると、ある程度のポリリズムが構築できる。そういうやり方で作っていたんです。技術力のなさをアレンジなどでカバーしてた。上手いバンドがたくさんいましたからね。演奏でキャラメル・ママに敵うわけがない。で、ましてやジャズとかの世界ははるかにテクニックが上でしょ。だから、そんな中でどう戦うか。別の面では、アイドルとか、そういうメジャーなものとどう戦うか。今でいう「東京ドーム3日間」みたいな、そういう人たちと音楽的にどう対抗するか。東京ドームでやってるものと、下北のスズナリで200人を相手にしてやってるものとで、文化的にどれぐらいの差があるかといえば、そんな差などありはしないんだけど、マスへのアピール度という点では圧倒的に差があるわけですよ。それはやっぱり、競争なんですよね。山下洋輔さんの名言に「音楽は勝ち負けである。喧嘩は勝ち負けではない」というのがあるけど、いつの時代でも技量の競い合いや、新しい流れとメインストリームのせめぎ合いがあるんですよ。
――当時のメインストリームに、音楽的、文化的に風穴を開けてやろう、みたいな意識は?
まったくないです。だって、僕は歌謡曲を聴いてこなかったから。小学生の頃は、三波春夫さんとか、そういうものが好きだった時代はありましたけど、中学以降はほとんど洋楽しか聴いてこなかった。演歌とかまったく知りませんでした。100%、洋楽からの影響。最初に影響を受けた洋楽はベンチャーズだったんだけど、僕はブラスバンドでパーカッションをやっていたから、ドラムが最初なんだよね。コードは知らなかったけれど、ドラムなら演奏できた。パーカッションをやっていた経験は、今につながっていますよね。ドラムがわからないとロックンロールはできないからね。
※中編は5月4日7時公開
(聞き手:加藤一陽)
山下達郎(やました・たつろう)
1953年生まれ、東京都出身。日本を代表するシンガーソングライター、音楽プロデューサー。1975年にシュガー・ベイブとしてデビューし、シングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』を発表。翌年、ソロ活動を開始し「RIDE ON TIME」「クリスマス・イブ」など多くのヒット曲を生み出す。4月23日には活動50周年を祝した記念アイテム『SONGS 50th Anniversary Edition』と「DOWN TOWN」の7インチレコードを発売。
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