中居正広“小林くん”“クロキン”“三上くん”との別れ「さみしい」 ラジオで思い出振り返る

2024/12/17 07:00 

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中居正広 (C)ORICON NewS inc.

 タレントの中居正広が、14日放送のニッポン放送『中居正広ON&ON AIR』(毎週土曜 後11:00)に出演。今年、親交があった人たちとの別れがあったと明かした。

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 この日の中盤で「ちょっとさみしい話とか。今年亡くなった人、いっぱいいます。桂ざこばさん、話したかった人。ピーコさん、もっと話したかった人。僕が20代ですからね、30年くらい前ですかね。一緒にやらせてもらって。すごく言葉がキツくて、僕言葉がキツい人が昔から好きだったからね。ピーコさん、どうしているのかな…なんて話して。中尾彬さんかぁ。しばらく会っていない人とか」と回顧。

 続けて「そんな中で今年ね…この番組のスタッフ、小林(順)くん、今年2月にお亡くなりになりました。僕、このラジオで『小林くんー!』って。ニタニタとか、ククッって発したりして。3~4年くらい前かな。体調壊したの。コロナが始まるちょっと後か。体調崩して、3年くらい前から収録にも来なくなって。それでもクスクスしている人いたでしょう?前にいるおじさん、変わっていたのよ。これ言えなくてね。それを中居ヅラは、小林くんだと思っているの。ね?今笑っているの、小林くんかと思うでしょ?」と呼びかけた。

 小林さんとの日々についても触れ「コロナ禍で体調壊して…小林くんの家、行ったなー。なんかフルーツとパンと天むすと、百貨店で買って。コロナ禍だったから、パッと。写真も撮ったかなぁ。コロナ禍はなかなか会えなかったり。コロナの間の3年間も、ブースの方に入ってもらって。それで、僕が体調壊したのは2年前か。それで、なんか『どんな感じ?』『今何やってるの?』とか。それで、去年の年末の収録は来ていて『年明け、来れる?』とか言っていたら、年明け一発目は来なかったのかな。それちょっと心配になっちゃったね」と率直な思いを吐露。

 その上で「オールナイトニッポン、21・22(歳)くらいからかな。ずっとやってきてくれたから。お別れの会とか、ちょうど韓国の『ドジャース対パドレス』とかと重なっていて。さみしいね。さみしかったな。さみしい。さみしかった」と偲んだ。

 さらに「それと同じような時期だったんですけど、フジテレビの黒木(彰一)さん。クロキンって呼んでたんだけど。僕の2つくらい上かな。2~3年くらい前から体調壊していて、ずっと病院で過ごしていて。この人は『スマスマ』のプロデューサーの人で、『いいとも』もやっていて。最後の最後までやっていて。お仕事はもちろん、ガッツリですよね。でね、海外旅行って、プライベートで行くのって、何回かしかないんだけど、ほとんど黒木さん来てる。ザ・プライベートだから。ほとんど一緒だったかなー。だから僕、コントで、ダメ人間ですわっていうのがあるんですね。クロキンがモデルなんです」と紹介。

 黒木さんの人となりについて「音楽がすごく好きな人で、海外のアーティストは、もうこの人ひとりでプレゼンして、ひとりでやっている人かな。ちょうど、僕が体調壊した時に、クロキンもなんかね…人に言いたくないタイプだったのかな。で、周りの人はあまり知らなくて。僕も体調壊した時『実は…』みたいなことを、あんまり話すタイプじゃなかったことを察したのか、連絡もらって。お互い、こう言いたくないんですけど、言いたくない同士が、ホントに同じような時期だったので。小林くんじゃないですけど『どっちが先に元気になれるかな』って」と明かした。

 さらに「僕のことを『リーダー』って呼んでくれて。好きなタイミングで、好きなものを、好きな量を食べられるような時期じゃなかったから、元気になったら何食べに行こうリストをお互いに作るの。これが楽しくて。僕もずっと、1日何もやることないから。じっーとしている中で、僕は料理のジャンル別においしそうな店を調べて。例えば、中華・和食・焼肉・寿司・とんかつとか分けて。個室がある・なし、予算みたいなものも全部ノートに書いていて。希望を持ちたいから、それを2人で出し合って。クロキンは、郊外に行っちゃうんだよね。川崎のどこどこに、めっちゃおいしいところがって。なんだ、けっこう調べてんじゃんって。どっちが詳しいか合戦をやっていた」と互いに元気づけ合っていた日々をなつかしんだ。

 その上で「それで、僕の方が先に元気になったのかな。『はい、オレのが先でした』。うん…それでそうだな。ちょっとお見舞いも行けて。それも不思議だった。僕と黒木さんの部下と2人で行って。時間にも制限があるし。体調との兼ね合いもあって。会ってしゃべって、何を持っていけばいいのかなって。iPadにデータをいっぱい入れてもらって、暇つぶしに。黒木さんが好きそうな音楽をまとめて。スピーカーと。ダメ人間のかつらを持っていったかな。これ被ってみてって言ったら、昔のまんまだった(笑)。元気にしゃべっていたからね。そうね…致し方のないことだけど、もうちょっと何かできたのかなって。小林くんとクロキンに関しては、しょっちゅう会っている人だから、パタっていなくなっちゃうからね」とかみしめるように話した。

 そして「あと、テレビ朝日のアナウンサーで、三上(大樹)くん。今年亡くなって。まだ若かった。WBCとかプレミアやっている時って、清水くんがメインでやっている時は、僕はベンチ横でリポートをやっているんだけど、そのとなりに三上くんがいて。そこって、大変孤独で、スタッフも1人しかいなくて、3人で戦況見ながら、どのタイミングかなって、資料を整理しながら。今回のプレミアも、たぶん実況やりたかったんじゃないのかな。さみしい話になるね」と思いの丈を語った。

 さまざまな別れを話していった中居だが「小林くんとね、黒木さんが54っていう年齢なんですよ。54って早いよねって思うんだけど、病って、年齢にかかわらず、襲いかかってくるので。僕、今52でしょ?再来年で54なので。ホントに、なんかたまたまですけどね。ましてや同じ時期にですから。そうだね…すごい大変とてもとてもお悔やみですね。会いたいよねぇ。会いたくても会えないっていうね。さみしい。もっと話したかったです」と呼びかけた。

 エンディングでは「僕らのお仕事って、携わる人の人数が圧倒的に違うような気がするんですね。みなさんは会社と、会社の取引先とかありますよね。僕らの場合は、バラエティーであると、各局にスタッフがいて、お芝居だったらまたスタッフがいて、歌だったらレコード会社がいて、スポーツやる時はスポーツの人もいて、ジャンルによってその都度変わったり。携わる人が、ちょっとケタが違うくらい。近い人が亡くなりましたっていう時に、みんなどうしているんだろう」と告白。

 最後は「どうやって乗り越えているんだろうなって。こういうのって、なかなか慣れないし、受け入れているんだけども、引っ張られると、ずっとふさぎ込んでしまうというか、ちょっとね下降気味になってしまう。54っていう若さだったら、家族と、常に一緒にいる人達は、どういう風に受け入れて、どうやって次に歩いていくんだろうなって。みんなでさみしいねって言えているのが、少しさみしさを紛らわせてくれるんじゃないのかなと思います」と締めくくっていた。

 番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。
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