「秋月の乱」戦死者を供養 福岡・みやこ町で150回忌墓前法要

2025/11/02 09:45 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 明治初期に現在の福岡県みやこ町豊津地区が戦場となった「秋月の乱」。戦死者を供養する150回忌墓前法要が10月29日、戦死者が葬られた、町内の甲塚(かぶとづか)墓地で営まれた。

 墓前法要は、豊津で非業の死を遂げた旧秋月藩士を弔おうと地元の豊津郷土史会が、1985年から命日にあたるこの日に毎年続けている。約40人が焼香して犠牲者の冥福を祈った。

 参列した朝倉市の林裕二市長はあいさつで「豊津の地で秋月藩士が追悼されることは単なる慰霊にとどまらず、かつて異なる立場にあった者同士が和解と共感を示す尊い営みだ」と述べた。【松本昌樹】

 ◇秋月の乱150年でフェスタ

 「秋月の乱」の背景や歴史的意義について考える「ふるさと遺産フェスタ 秋月の乱150年」(みやこ町、町教育委員会主催)が、同町豊津の県立育徳館中・高で開かれ、旧秋月藩の地元、朝倉市の関係者を含む約200人が参加した。

 秋月の乱は1876(明治9)年、明治新政府による「廃刀令」などの政策に不満を募らせた旧秋月藩の士族約250人が、肥後(熊本県)の神風連(しんぷうれん)の乱に呼応して蜂起。旧豊津藩士に同調を促したが協力を得られず劣勢となり、「豊津戦争」とも呼ばれる政府軍との戦闘で秋月側は17人の戦死者を出し撤退した。

 フェスタの冒頭、学校のグラウンドでは、朝倉市の「秋月藩砲術林流抱え大筒保存会」の会員が、勇壮な古式砲術の演武を披露。記念講演では、みやこ町教委の川本英紀さんが、新たに発掘した当時の陸軍省資料などを基に、政府軍が万全の情報共有態勢を整え、秋月藩士族の動きを素早く伝達していたことなどを解説した。

 続くパネルディスカッションでは、佐々木隆良・朝倉市秋月博物館長▽内田恵三・秋月街道ネットワークの会副会長▽畑中茂広・豊津郷土史会長▽小正路淑泰・美夜古郷土史学校長――らが歴史を縁とした地域間交流などについて議論した。【松本昌樹】

毎日新聞

社会

社会一覧>

注目の情報